原は1871年、幼名健次郎を敬と改め、12月、勉学のため上京した。満15歳。以来、帰省はしても故郷盛岡を生活の場とすることはなかった。しかし、母に会うため、先祖を敬うため毎年のように盆に帰ってきたほか、何度となく盛岡に来ている。住んでいれば郷土を意識する必要はあまりない。住まなかったからこそ、故郷を思う気持ちが深まったのだろう。
盛岡駅西口に移転する県立図書館。その創設に原が大きくかかわり、古里の振興に尽くした代表例だ。
1921年6月23日の日記に図書館のことが書かれている。「盛岡に図書館設立の事、先年来市長などに勧誘せし事もありしが、今回県立図書館設立の事に相成りたりと云ふに付、余勧誘せし関係もあり、又郷里の為め有益ならんと思考せしに因り、兼て市長知事等に一万円寄附を申入れ置きたるに、今回別紙の如き書面を出しくれなば好都合なりと市長より申越に付、本日差し出したり」。
その寄付申込書は同日付で、北田親盛岡市長に1万円を寄付する旨を申し出る内容。原は同年11月4日、東京駅で暗殺される。しかし、同年2月20日に書かれた遺書に「盛岡図書館に金壱万円寄贈の約束有り、是も右当座預金より支払ふべし」と指示があった。原は亡くなったが、県立図書館は22年11月、県公会堂向かいに完成した。
遺書に遺体は「盛岡に送りて大慈寺に埋葬すべし」とあったのも郷土への思慕の表れ。政界引退後は盛岡に帰って新聞社を興したいという気持ちだったという。
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