2006年 1月 3日 (火) 

       

■ フィリピンのパラワン島の女性に現金収入の道を 盛岡市の原さんが織物指導に情熱

     
  雫石町の歴史民俗資料館の地機と原穂波さん(左)、小田晴世さん  
  雫石町の歴史民俗資料館の地機と原穂波さん(左)、小田晴世さん  
  フィリピンのパラワン島は、フィリピン島の西部に位置する細長い島。面積のほとんどを山岳とジャングルが占める貧しい島で今、雫石町の地機を使って女性の自立を支援しようと奔走している女性がいる。盛岡市の原穂波さんは、NPO2050(北谷勝秀代表、本部は東京)の顧問として、現地に絹織物を根付かせて、女性の現金収入の道を開こうと、情熱を傾けている。

 貧困女性の自立支援などに取り組んでいる同NPOが、同島での取り組みを始めたのは2000年。現地に自生する葉を食べ、成長が早いエリ蚕を導入し、シルクを作るプロジェクトを立ち上げた。

  養蚕が軌道に乗り、無事に繭(まゆ)ができたとき、問題になったのは製品化の方法。現地ではかぎ針編みを試みていたが、糸に弾力性がないためうまくいかなかった。そのとき、同NPOの北谷代表のいとこで、手芸歴30年の原さんに白羽の矢が立った。

  北谷さん夫婦に連れられて、原さんが初めて現地を訪れたのは01年。かぎ針の失敗作を見て「棒針ならどうだろう」と挑戦。編んでみると「何とかなる」という手応えを得た。

  一方で、悩みの種だったのは糸の状態がよくないこと。帰国してから、県内各地を回って、蚕糸の精錬方法や紡ぎ方の情報収集に奔走した。
  糸を紡ぐための紡ぎ機の選択には苦労。「現地の職人が現地にある材料で複製できる機械」でなければ支援にならないという同NPOの方針から、特別な部品や金具の必要がない古い機械探しが始まった。各地を歩いた末、雫石町の歴史民俗資料館にたどり着いた。

  ■小田晴世さんとの出会い
  同館の専門指導員、小田晴世さんとの出会いは、活動の中で大きな転機になった。小田さんは原さんの活動に共鳴し、資料館に展示してあった古い糸紡ぎ機を紹介。すべて木でできているため「現地の大工にも作れるだろう」と太鼓判。原さんはそれを基に盛岡市の職人に複製を依頼。糸紡ぎ機3台と、糸を巻く部分のフライヤー5つを作ってもらい、現地に持って行くことができた。

  その傍ら、原さんはエリ蚕の原産地、インドのアッサム地方を視察。大きな機を使って素晴らしい布地を織っているのを目の当たりにした。同じ素材だが、一方は伝統的な工芸品として定着している。「同じものを作るわけにはいかない」と、今後の製品化の方向性について悩んだ。

  そんなとき、小田さんが資料館に展示してある地機の使用を提案。平織りはどんな機でもできるが、雫石町の亀甲織りもその一種というもじり織りは、地機でなければできない。現地ではちょうど、紡ぎがうまくなり、いい糸を作れるようになった。原さんはその糸を生かして、織りという新たな技術への挑戦を決めた。

  ■通いで技術習得
  地機はもともと、農家の主婦たちが農閑期に行っていた織りの道具。農繁期には分解して収納できるように、くぎや金具を使わずすべて木で作ってある。現地に運びやすいことと、現地の大工が作れることも採用のポイントになった。

  手芸が得意な原さんも、織りは初挑戦。図書館から専門書を借りてきて、用語の勉強から開始。資料館には1週間に3日のペースで約半年間通い詰め、小田さんから技術を習った。

  資料館の地機を基に、雫石町の家具職人に複製を依頼。04年11月、原さんの訪問に合わせて、初めて1台を現地に持ち込んだ。縦糸を掛けるための道具、整形機も導入。原さんが織りの技術を伝え現在、軌道に乗りつつあるという。

  ■現地で28人が活動
  現地で活動に参加しているのは首府のプエルト・プリンセサとポートバートンの2カ所で、合わせて28人の女性。養蚕、編み物、織物と、それぞれが自分の得意なものを選択し、分業化を進めている。今後は山間地の少数民族にも、活動を広げたいとしている。

  繭そのままの色のほか、アスウェティという木の実など、現地で取れる草木を使った染色にも挑戦。ストールなどに製品化したものは、一部現地で販売するほかは同NPOが買い上げる。製品は、東京都内の雑貨店やカフェなど、契約している3カ所で常時販売している。

  ストール1枚を3千円で販売すると、材料費などを引いても、製作者の手元に2500円は入る仕組み。現地の1カ月の生活費は3千円ぐらい。これまで自分の収入の手段を持っていなかった女性たちにとって「きちんとしたものを作るとお金が入る」ということは、大きな意識改革をもたらしつつある。

  女性が手にした収入は何に使われるか。原さんは「女性はお金を手にすると、子供の教育に使う」という。女性の自立を支援して、収入の道を確保することは、子供たちの教育につながり、貧困からの脱却をもたらしてくれるという構想の下に、活動は進められている。

  ■いずれ伝統工芸に
  現地を訪れるたびに「喜んだり、がっかりしたり」という原さんだが、現在は「だいぶいい方向に向かっている」と思う。女性たちに必ず聞くのは「楽しんでいる?」ということ。「生活のため」と髪を振り乱して取り組むのではなく、製作自体を楽しむことが長続きする秘けつと思うからだ。

  原さんは「主婦が自分で学んで、それぞれに技術が身に着くのがいい。家の中に地機があれば、子供の面倒を見ながらでも、家の中で楽しんでできる」と思う。「一朝一夕には無理でも、いずれ伝統工芸として育っていけばうれしい」と夢は膨らむ。

  同NPOは1994年に、国連事務次長を務めた北谷代表が東京で結成。21世紀の折り返し点である2050年に目を向けて、環境、人口、貧困などの地球規模の問題を考え、世界の子供たちが安心して住める地球を残していくために行動しようという団体。国連機関や中央、地方の行政府、内外の市民団体などと提携し、途上国の貧困女性の自立支援を中心に活動を展開している。


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