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閉店したダイエー盛岡店と柳新道 |
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盛岡市大通2丁目にダイエー盛岡店が進出したのは1973年5月のこと。盛岡に本格的な大型店時代が幕開け、旧町名で柳新道と呼ばれた町並みは一変した。76年には大型家電専門店の電巧堂が開店。柳新道は大通に交差する新しい目抜き通りに成長した。やがてブティックや飲食店が軒を連ね、80年代には東京原宿で流行していた「竹の子族」まで表通りに繰り出した。それから30年余り。地域の核店舗となっていたダイエー盛岡店とデンコードーの大通店が2005年11月で相次いで閉店した。盛岡に大型店時代が到来して30年、ビッグストアは地域に何を残し、何を変えていったのか。柳新道の人々に聞いた。
ダイエー盛岡店前のいわしや田村薬局の田村一さん(75)は「あのころのダイエーにはたくさん人が来てもうかっていた。今、テレビに出ているような歌手も店の前に舞台を組んで寒さに震えながら歌っていたもので、大変なにぎわいだった。だんだんダイエーがイベントに力を入れなくなったのが目に見えてきた」。目の前の大型店の盛衰を見つめてきた田村さんは、シャッターを下ろしたビルを前に「33年前の暗さに戻った」とつぶやいた。
山田酒店社長の山田康さん(60)は「わたしが28歳のころにできた店だったが、当時のダイエーには大型店のパッション(情熱)があった。三越の売り上げを追い抜いたといわれるほどに。ダイエーが正月に5日間も休んだ年があって、社員に厳しい会社の割にはもうかって余裕があるのかと感じた。わたしも『カリスマ』という本を読んだが、企業は人ということについて考えさせられた」と話し、日本経済の足取りと重ね合わせた。
山留貴金属店の山崎淳一さん(59)は「ダイエーができたときはお祭り騒ぎのようだった。ダイエーが開店してから街はかなり変わった。閉める店もあったし住んでいる人も少なくなった。ダイエーの開店の日にここに来て、閉店の日にまたここに来たお客さんがいたが、不便になったと言っていた」と、街の移ろいに感慨を抱く。
彫金の匠(たくみ)として昭和30年代からの店を守り続ける。「うちはこの仕事をやっているのでここでしかできないと紹介してくれる人がいる。後継者がいなければやめていく店が多いが、それは大型店とは関係ない」とたんたんとしている。
川柳の小田巌さん(68)は「ダイエーができて人通りは多くなったが、小さい店は畳むところが出た。気がついてみれば買い物をする店がなくて困る人もいる。ダイエーの店長は最後にきちんとあいさつしていった分、引き際に花道があった」と話し、大型店の最後をみとったような気持ち。「街自体が年を取ったということかな」と表通りに目をやった。 |