2006年 1月 1日 (日) 

       

■ 県外資本の進出拒めるほど地域は強かった 藤原誠市さんに聞く

 元盛岡商工会議所副会頭の藤原誠市さんは1970年代のダイエー出店当時、大型店委員長として地元の調整に当たった。当時の状況を聞いた。

  −盛岡の大型店時代の始まりは。

  藤原 ダイエーが大型店のはしり。中内功さん(ダイエー創業者)が盛岡のわたしのところまで来た。そのころは中内さんがそんなに有名になるとは思わなかったが、とにかくあまり盛岡に店は来ないでほしいと。商工会議所の大型店委員長をやっていたから、あのころは委員会があって法律である程度は規制、調整ができた時代だ。

  −商業活動調整協議会(商調協)があったころの大型店対応は。

  藤原 あのころは商調協があって、その中の大型店委員会だった。その中でもんで上げて答申した。大規模小売店舗審議会(大店審)ができてから状況が変わった。大店審にかけて、大店審が諮問する形になった。交通渋滞を何とかしろとは言っても、大店審ではだいたいOKになる。ここ10年くらいは。

  当時ははるかにというよりかなり商店街の声が強かった。要らなければ要らないと。ただ大抵は拒否しないで妥協したことが多い。大型店委員会には約10人いて、そのうち5人くらいいつも意見がぶつかった。満額認めた方がいいとかだめだとか、かなり激しい口論のあとでわたしが委員長としてまとめてきた。

  −ダイエー進出に対してはどのように対応したか。

  藤原 ダイエーの場合は希望の30%削減したと思う。そのときわたしたちが言ったのは大型店をあちこちに出されるのは極力、本当は自粛してもらいたい。あなたたちが出ることによって地域が活性化することがあるが、周りの商店街に影響が大きく出てシャッターを下ろす店や社員がやめることが起きる。結果的に無産党を増やすことになる。そういう人が多くなると経済発展もないと、中内さんには要望した。

  −他の大型店の進出に対しては。

  藤原 記憶に残っているのは、長崎屋は完全に申し込みは拒否した。長崎屋はわれわれの意見はどうでもいいという調子できたので断った。西友は駅前に誘致したいからということで協力したいと言われたが、断るのでなく西友の方の事情で来なかったと思う。

  −ダイエーが来るまで盛岡の大型店の動向は。

  藤原 無風地帯だった。大店法や大店立地法ができてからイオンが出てきて大きな影響があった。昔は盛岡には入れなかった。都南の方に行ったり離れた郊外に作ったり、花巻の方に行ったりした。われわれは強かった。それが今、せきを切ったようにいろいろ来る時代になった。

  −そのダイエーも大通の店は閉店してしまった。

  藤原 ダイエーがなくなれば困るという消費者の声もあるようだが。商店街もある意味で消費者と同じような面がある。商店街も最初は反対しても今になれば一緒になってお客さんが行ったり来たりしていたから、通行量が多くなれば商売になるという商店も多い。単に食われてしまうという商店だけでなく、成り立っている商店もある。今物販がイオンなどの影響を受けているが、空き家がほとんど飲食店に変わっている。飲食店でも町は成り立つのなら、うまく組み合わせて街づくりをしていくのもひとつの道だ。

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