県は1979年から県内の購買動向を把握するため3年(97年からは5年)ごとに広域商業動向調査を行っている。盛岡市はじめ県内主要都市を核に1次商圏(その都市に購買者が30%以上流入する地域)、2次商圏(同じく20%〜30%流入する地域)、3次商圏(同じく10%〜20%流入する地域)に設定して分類している。
盛岡市は79年から02年までの23年間に、1次商圏は4市町村から6市町村の間で推移し、商圏の吸引人口は26万6千人から32万5千人に増加した。ピークは97年の6市町村33万8千人だった。2次・3次商圏は町村の入れ替わりが激しい割には、吸引人口の変動に乏しい結果となった。2次商圏は79年に雫石・紫波・沢内の3町村1万3千人だったが、02年には松尾・矢巾・岩手の3町村1万900人に減少した。3次商圏は79年の6町村1万1200人が、02年には6町村1万2千人に微増しただけ。
70年代の大型店時代到来からの盛岡市の商圏構造は1次商圏を堅実に固めて吸引人口を増やす一方、2次・3次商圏の希薄化が進んだ。盛岡市の小売店の年間販売額は79年の2143億円から97年の4116億円まで増加したが、02年は3899億円に初めて減少した。商店数は79年の3154店から94年の3472店をピークに、02年は3020店に減少。大型店進出、不況、後継難などによる廃業で市内商業の空洞化が進行した。
調査年次別に盛岡市の周辺町村への吸引人口を実数でまとめてみると、盛岡市は岩手郡に対する商業的な求心力を高めてきた一方、紫波郡にはむしろ遠心力が働いてきたことがうかがえる。一貫して盛岡市の1次商圏であり続けてきた滝沢村は、79年には1万9千人が盛岡市に流出し、02年は3万1400人に達した。雫石町は79年の5千人から02年の8700人までほぼ一貫して増加。玉山村は79年の4900人から97年の7300人まで増加し、02年には5200人に減少したが、06年には自治体合併で盛岡市に編入される。岩手郡の隣接3町村は商業的には実質的な「市内化」が進んできたといえる。
これに対して盛岡市の紫波郡への吸引人口は、矢巾町が94年に1万1700人に増加したものの02年には5700人まで落ち込み、79年の6400人よりも減少している。94年の大幅な増加は92年の旧都南村の盛岡合併による隣接地域への一時的影響とみられる。紫波町は79年の7千人から02年には4400人まで減少。1次商圏に入ったことはなく、年次ごとに2次・3次商圏の境界線上で揺らいできた。紫波郡の隣接2町村は盛岡市への購買流出を抑え、大型店進出により盛岡市への求心力をも発揮してきた。
盛岡市の商業的な求心力に南北で明暗がついた背景には、岩手郡には人口増加に見合うだけの大型店の進出が見られない一方で、紫波郡はオーバーストア状態となり、花巻市や北上市への大型店進出も影響したとみられる。
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