−盛岡の流通の今昔をながめて。
加藤 60年代から70年代に盛岡の街中の店が住宅とともに中心部から郊外に広がった。生協は比較的新しい住宅街に出店した。盛岡ではジョイス(当時いちのへストア)は本町に店があり、一心太助というお店も盛岡の街中にあった。むらかみスーパー(ファル)も上田など盛岡の街中にあった。生協はその外側、仙北町、緑が丘、松園など外に店を出した。住宅の移動につれて地元スーパーは外に出た。街中には大型GMS(ゼネラル・マーチャンダイズ・ストア)ができる。駅前や商店街にダイエーを中心としたGMSが全国にばらまかれた。
盛岡も最初はそういうことだったが、盛岡はデパートでは川徳が肴町から菜園に出店して大型化して、駐車場はじめ時代に合わせてリニューアルした。川徳が本拠を移して新しく対応したこともあり大型店は比較的、街中に出ないでいた。肴町には中三デパートが来て、大通には川徳が来て、GMSのダイエーはあまり売り場が大きくない。一時は百億を超えたときもあったが、そう大型でなく駐車場も狭い。盛岡の商店街は比較的、健闘してきた。青森、秋田、福島などや北上もそうだが商店街がやられて、大型店が今度は郊外に移って撤退し商店街はことごとくGMSにやられた。その時代が80年代いっぱい続いた。
−大店法から大店立地法、まちづくり3法と大型店を取り巻く施策が変わった。
加藤 90年代のデフレやバブル崩壊し、デフレ基調になって右肩下がりの時代になる。まだ80年代の余力があった97、8年がボリュームとしては一番多い。団塊の世代が一定の経済力を持ったことがあった。90年代から2000年代に入ってデフレが本格化し、バブルの後遺症や不良債権が表に出る時代に入ったが、国は90年代から新自由主義の競争原理と規制緩和と自由化をした。
2000年に大店法から大規模立地法案に変わるが、経済は右肩下がりで消費者のパイは増えない。商店街がGMSに痛めつけられているときにもっと緩和して、超大型のショッピングセンターをチェーンストアの持論で自由に作れる法改正をやった。結果が今の問題だ。ローカルスーパーもイオンも、より郊外にショッピングセンターを作りながら、かつて商店街をつぶしたGMSも足下がぐらぐらして能力がなくなってきた。誘致したり反対したりしてかつて商店街に出店した大型店が次々撤退して、商店街は地盤沈下し残がいが残った。政治や行政が先をきちんと見てどういう都市をつくるか、政治の機能が決定的に欠落していたのが今の問題の本質だ。
−増田知事はまちづくり3法見直しの提言の考えを出し、福島県は大型店規制条例を作っている。
加藤 まちづくり3法だけではなく、福島の佐藤栄佐久知事がまちづくり条例を初めて作った。佐藤知事の哲学は非常に優れている。合併も福島が一番進んでいないが、コンパクトな町づくりを進めるのだと。近隣市町村と連携した広域的な調整を進めながら、大きい合併がいいことではないと書いている。そういう意味では増田知事は、哲学としてどういう岩手県をどうつくるのか、県民の暮らしや地域文化をどうするという発想がないのでは。
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