2006年 1月 1日 (日) 

       

■ 〈盛岡ブランドってどんなもの〉石の街 名城生んだ石垣美

 盛岡を歩くと、石が景観の1要素になっていることに気付く。石をキーワードにブランド化できないものだろうか。

  天守櫓(やぐら)がないにもかかわらず、東北の三大城趾の一つに数えられる盛岡城。それは石垣美によるものだ。東北の平城では土塁が多いが、盛岡城は珍しく城全体の縄張りに石垣を組んだ。1906年に岩手公園となったが、その石垣は残されて今なお存在感を示し、往時をしのばせる。

  発掘成果から城の変遷を見ると、盛岡城の基盤となった戦国時代の不来方城は丘陵を切り盛りして平地や空堀、土塁を巡らせた城だった。慶長年間(1596〜1614)に始まった盛岡城1期は不来方城の堀を埋め、平らな領域を拡張。本丸と二の丸の一部に石垣が積まれた。

  1615〜1620年代(元和〜寛永初期)の第2期には本丸の石垣が積み直しされ、腰曲輪も石垣積みとなった。落雷で本丸が延焼して、1674(延宝2)年から再建された折、二の丸西側で北上川の川筋が切り替えられ、1686(貞享3)年にかけて石垣が積まれた。

  初期の石垣が見られるのは本丸東側。野面(のづら)石が多く使われ、割り石はコーナーなどの一部に使われるだけだった。腰曲輪は粗い割石を積んでいる。高く積まれ、見上げると圧倒される二の丸西側石垣は四角形に加工され、リズム感がある。端正な山のような反りが石垣美を一層引き立てている。

  この石垣は城の敷地や付近、川目方面などの近郊から調達した花こう岩という。城の中を散策すると、割り石の中に交じって大きな岩が石垣の一部になっていたり、土中から一部が見えたりしている。烏帽子(えぼし)岩と呼ばれる、よく知られた岩もある。豊富な産出に加え、統一感のある石材が集まったことで、石垣の美しさを高めている。

  城を出て中津川を見てみると、だんご岩として親しまれている巨岩をはじめ、川の中から大きな岩があちらこちらで顔を出している。河川工事のとき、撤去しようとして大きさのあまり断念したという逸話もある。

  官公庁の方に引き返せば、盛岡地方裁判所の国天然記念物の石割桜。推定樹齢350年ほどのエゾヒガンの強靱(きょうじん)さもさることながら、この巨岩がなければ石割桜も生まれなかった。

  もう少し足を延ばして三ツ石神社へ。さんさ踊りの起源説があり、市内最古の神社ともいわれる。境
内には、岩手山の噴火で飛んできたといわれる3個の巨岩がそそり立つ。

  鬼の悪事に困っていた人々が三ツ石の神様に鬼退治を祈願。とらえられた鬼は命だけは守られたかわりに、2度と里へは来ないという約束の手形を石に押したという伝説がある。鬼の手形として、これが岩手の起こりであるといわれ、不来方の地名の由来ともいわれる。

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