■ 〈盛岡ブランドってどんなもの〉草紫堂 バイオで県産原料を復活
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南部紫紺の復活に期待を寄せる3代目藤田繁樹さん |
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紫紺は藩政時代に盛岡藩の保護を受け栽培されていたが、明治時代に保護が解かれ、乱獲などにより激減し、染めの技法はいったん途絶えた。1916(大正5)年に南部紫紺染研究所が設立され技術を復興。研究所の主任技師だった初代藤田謙が33年に独立し、草紫堂を創業した。絶滅が危ぐされていたムラサキ草はバイオの技術で復活し、県産の紫紺を使った南部紫紺染が今年中にも店頭に並べられる可能性が出てきた。
伝統の紫紺染の技法は、ムラサキ草の根を臼でつき、熱湯で染料を抽出ろ過。この液に漬けるのは型紙の絵柄に沿って青い汁で紋様を描き込んだ反物を縫い絞り(文様の一つ一つを糸で縫う作業、縫い絞りには最低1カ月、中には1年以上かかるものもあるという)したものを、1時間ごとに12回染め重ね、たんすの中に3年から5年しまうと鮮やかな南部紫に仕上がる。この技法の染めだと高額となり過ぎるため注文を受けて染めており、店頭に並ぶのは伝統技術に補色と色止めの化学処理をしたもの。
文様は大桝(ます)、小桝、立涌(たてわく)の3種類が古くから伝えられているが、初代藤田謙、2代藤田勉がオリジナルのデザインを考案、現在までに800種類となっている。藩政時代は紫紺染の着物は庶民は身に着けられない高級ブランドだったが、現在では着物のほか、ハンドバッグ、財布や小銭入れ、クッション、テーブルセンター、風呂敷など多種多様な使われ方をし、求めやすい価格に設定している。
原料の紫紺は中国産のものがほとんど。農家にムラサキ草の栽培を依頼しているが、染めに使うには全く不足している状況。3代目の藤田繁樹さん(40)は「紫紺自体が絶滅危ぐ種に指定されている植物。ですから自生のものはあっても採れない。2年くらい前から盛岡農業高校の生徒たちが紫紺のバイオ栽培に挑戦しているんです。昨年12月初旬、初めて収穫された紫紺で染めてみたんですが使える見通しが立ち、生徒たちと栽培計画を話し合っているところなんですよ」と、南部紫紺を使った紫紺染の本格復活に期待を寄せている。
南部紫紺と輸入物の紫紺との染め上がりの違いは素人には全く区別がつかない。藤田さんは「輸入物は雑味があるんですよ。岩手大学に分析してもらったところ純粋な日本の紫紺のほかに違う物質も含まれているようなんですね。それによって色合いの違いが出てくるということでした」と説明する。
紫紺染の普及について「わたしは2001年から岩手染め織りネットワークに参加しているんですが、地場の染め物をもっと使ってもらおうと力を入れて活動しているんです。努力して手ごろな値段にし、本当に好きな方にうちの価格で分けてあげたいとスタッフと検討しているところです」と、顧客を大切にしながら紫紺染の販路拡大に意欲をみせている。
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