2006年 1月 29日 (日) 

       

■ 〈盛岡百景〉55 原敬記念館 鎌倉の別荘から書斎を移設 

     
  記念館の水盤から望む左が介寿荘から移設の蔵、右手が腰越荘から移設の書斎  
  記念館の水盤から望む左が介寿荘から移設の蔵、右手が腰越荘から移設の書斎  
  明治・大正期に活躍した平民宰相、原敬は1856(安政2)年2月9日、旧本宮村で生まれた。その生地にあるのが原敬記念館。敷地内には敬の生家、旧古川端に建てた別邸介寿荘から移設した赤れんが造の蔵、鎌倉の別荘腰越荘から移設した書斎もあり、記念館の資料とともに、原の息遣いを感じさせる。

  原家は初代政澄が1633(寛永10)年に知行100石を拝領以来、家禄を没収された一時期もあったが、代々南部家に仕えた。現存の生家は敬の祖父に当たる7代直記が1850(嘉永3)年に増改築したものが土台となっている。増築当時の家は約200坪(660平方メートル)の大きな屋敷だった。敬が生まれたころの屋敷には外濠(ぼり)、内濠が回り、藩主やその家族を迎えるための「御成座敷」も備え、若党部屋や番所もあった。

  しかし、明治維新後の1872(明治5)年ころ、5分の1程度の規模に縮減された。敬は71年、勉学のため兄のいる東京へ出た。父直治は故人となり、母リツは屋敷回りにあった水田を売却するなどで生計を立てていたが、いよいよ間に合わず屋敷の大部分を売り払ったという。

  現存するのは木造平屋建て一部2階で延べ床面積は約176平方メートル。屋根はかやぶきの寄せ棟造り、壁は真壁造りで板張りを施している。浴室や玄関回りなどが改修され、玄関に向かって左手の応接間は大正末期に増築された。前面には池のある庭園が残されているが、縁側のない現在のこの家では、応接間からの眺めが一番良いようだ。

  記念館の敷地約3350平方メートルは1952年、財団法人逸山記念資団(原貢理事長)=当時=から生家も合わせて市に寄贈された。記念館の前2棟は東宮御所や迎賓館別館の設計で知られる東京工大の谷口吉郎名誉教授が設計。谷口氏は「原敬日記」に感銘を受けたといわれる。鉄筋コンクリートの平屋建てだが、和風の意匠も入れ質実剛健さを感じさせる。73年と88年に増築し、その趣は踏襲され一体化している。

  敬の幼名は健次郎。父42歳、母33歳の年の子で、当時は厄年に生まれた子供は捨てるか一度捨ててから拾う慣習もあったが、祖父の一声でそのまま育てられた。大政治家原敬が世に登場するかどうか運命の岐路が出生直後にあった。産湯にも使われた井戸の跡が、生家の脇に残る。

(井上忠晴記者)

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