■ 森荘已池校注の新版「賢治歌集」を出版 詩人の森三紗さんが解説
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解説を添えて復刻した森荘已池校註「宮澤賢治歌集」を手にする森三紗さん |
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盛岡市出身の作家で宮澤賢治全集の編集に携わった森荘已池(1907−1999年)が、情熱を注いで世に出した「宮澤賢治歌集」の新版がこのほど出版された。森の四女で詩人の森三紗さん(62)=盛岡市小杉山=が、掲載の短歌と歌稿を一首一首突き合わせて確認。石川啄木や小田島孤舟(教育者・書道家)とのつながりに触れた解説を加えて出版した。森さんは「佐一(荘已池の本名)は、賢治の文学活動は短歌に始まり短歌で終わったと話していた。高く評価されている詩や童話と同じように、賢治短歌の研究が深まればと願う」と話す。
森荘已池校註の宮澤賢治歌集は、1946年の日本書院版、1952年の創元文庫版に次ぎ3冊目。賢治の歌稿には「歌稿A」(伝統的な短歌形式である一行書き)、「歌稿B」(多行書き、分かち書き)があり、今回の新版では創元文庫版と同じ歌稿Bを採用した。
歌稿Aは賢治の妹トシが筆写したものといわれる。森さんは、推敲(すいこう)の跡が随所に残る歌稿Bに改めて目を通し、「賢治の青春の足跡をたどるようだった。いい短歌を作ろうという意欲、執念のようなものも伝わってきた」と感嘆。多行書きの背景にも迫った。
注目したのは、10歳年上の啄木とのかかわり。啄木が評論「歌のいろいろ」を東京朝日新聞に発表した時期(1910年12月)と賢治の作歌開始時期が合っていることは、荘已池も解説で述べていた。
森さんはさらに、啄木と文学的交流も深かった小田島孤舟(1884−1955年)と賢治とのかかわりにも触れた。賢治は、1912年11月3日付の父宮澤政次郎あての書簡に小田島の第一歌集「郊外の丘」を25銭で買ったことを記している。賢治と孤舟は仏教講習会が開かれた大沢温泉でも会っているという。
小田島が創刊した「曠野(こうや)」(第2次)には荘已池も参加している。
「やはり賢治は啄木の多行書きの後継者だったのではないかと思う。啄木と孤舟、荘已池、賢治のつながりも見えてきた」と話す。
賢治の本格的な作歌は1911年1月、盛岡中学(現盛岡一高)3年のときから始まり、盛岡高等農林学校(現岩手大農学部)時代を経て1920年まで熱心に続けられた。
森さんは詩人の視点から「歌稿から伝わる一瞬一瞬の青春の輝き、その想像力の豊かさ」と短歌の印象に触れ、荘已池が高く評価していた賢治絶筆の二首「方十里稗貫のみかも稲熟れてみ祭り三日そらはれわたる」「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし」にも思いを寄せていた。
国際啄木学会盛岡支部長の望月善次さんは「これまで複写でしか見ることができなかった賢治歌集。森さんが労力を惜しまずに復刻してくれたことはありがたいし、賢治短歌をおさらいするには格好の新版。荘已池の詳細な注や森さんの解説も興味深い」と話していた。
森荘已池校註「宮澤賢治歌集」は新版解説・森三紗さん、跋(ばつ=あとがき)天沢退二郎さん。222ページ。未知谷発行。2200円(税別) |
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