2006年 2月 2日 (木) 

       

■ 〈賢治の歌〉300 望月善次 喪神の鏡悲しく

 喪神の
  鏡かなしく落ち行きて
  あかあか燃ゆる
  山すその野火
 
  〔現代語訳〕正気を失った鏡(のように太陽)は、悲しく落ちて行って、(その闇と共に富士の)すそ野の野火が赤々と燃えています。

  〔評釈〕「歌稿〔B〕」の「大正五年三月より」八十四首中の九首目で「264」歌。初句・第二句には「日沈みて(も落ちて)/かなしみ(かなしさ) しばし 凪(な)ぎたるを(に)」の形があり、また推敲(すいこう)過程の第二句には「白き鏡は」などの形があり、結句には「富士すその」の形もあった。「喪神・喪心」は、「心を・正気を失うこと」であるが、「喪神の鏡」は、抽出歌の範囲では、意味を通すことができなかったので、「日沈みて(も落ちて)」と重ね合わせて「日没のこと」なのだとした。もちろん太陽に心情はないから、「かなしく」は、話者の感慨。日没を「かなしく」観(み)る話者の感慨が、太陽を「鏡」とし、闇の中の野火の赤さに反応するのである。そうだとすると「富士」のすそ野もほしい。

  (岩手大学教授)

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