■ 〈続フランス見たまま〉299 小野吉郎 敗戦を勝利に変えたドゴール(下)
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日本の政治家や軍部の指導者たちはナチス・ドイツがヨーロッパ諸国を制圧し、フランスもあっけなく占領されてしまったのに驚いた。イギリスが敗れるのも時間の問題と思われた。
しかし、ドイツの海軍力はイギリスより弱く、その上フランス戦線では多くの爆撃機を消耗させてしまった。もはやイギリスにドイツ軍が上陸するゆとりもなかった。
遠く離れた日本ではそうした実情が分からず、早くドイツと同盟を結ばないと、世界分割の分け前がなくなる。かくて日独伊三国同盟を結ぶことになった。資源をもたない国同士の同盟で何もメリットがなかったはず。
逆に日本とアメリカが参戦すると、自動的にドイツもアメリカと戦うことになる。するとイギリスが窮地から救われ、中立国アメリカより同盟国になった方が航空機や武器の援助を受けやすくなる。フランスでもアメリカの参戦でほっとして、解放のための勝機が近づいた。
フランスの解放戦
アメリカ軍はまず北アフリカに上陸した。ドイツやイタリア勢を追い散らした。アメリカは初めドゴールを信用せず、ドイツの収容所から脱走したジロー将軍を後押しして北アフリカのフランス軍総司令官に任命しようとした。
しかしアルジェに来たドゴールはすぐれた指導力の軍人であると同時に政治力でも、宣伝力でも文筆力でも抜群で、単純な軍人のジローはたちうちできなかった。
ドゴールはすでにフランス各地の地下運動を組織化していた。ペタン元帥がもしアルジェに来てドゴールと握手したら、対独協力指導者の汚名がつかなかったはず。しかし84歳のペタンは現状維持に甘んじて動かなかった。
やがて連合軍が北はノルマンディー、南はプロバンスにそれぞれ上陸して、ドイツ軍を駆逐し、ドゴールと自由フランス軍はパリ入城の先陣を飾った。
次はフランスは連合軍の一員として、ドイツ攻略戦に参加した。
フランスの国際的地位の回復
自由フランス軍はドイツで勇敢に戦い、ドイツは降伏した。フランスも米・英・ソとともに、ドイツと首都ベルリンを4分割してフランスも占領地を管理した。国連設立に参加して、中国を含めた5大国で安保常任理事国となった。
ドゴールの再登場
ドゴールはフランス解放の英雄となるが、レジスタンスに参加していた各政党同士が対立し、社会党や共産党が勢いづいた。
ドゴールは1946年1月に政治から手を引いた。いずれいつかドゴールを必要とする時期が再び来るだろうと思ったに違いない。第4共和国では戦前のように小党分立の短命内閣をくり返し、7年続いたアルジェリア独立戦争を解決できず、アルジェリアにはかつての満州での日本の関東軍のようなフランスの生え抜き軍人がいて、アルジェリア独立に反対していた。
ドゴールだけがそれを抑える力があった。12年ぶりにドゴールは政権に復帰する。従来の飾り物の大統領ではなく、アメリカ大統領並みの実力ある大統領を目指し、第5共和国を樹立させた。そしてフランスを改革し、10年後「五月騒動」が学生運動から始まり、労組がゼネストを起こし、ドゴールは翌年大統領を辞任する。
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