正月もそろそろ終わろうとする日、テレビをつけると、全国百人一首かるた大会が映っていた。あまり気も入れず眺めていたが、その競技のすごさに驚いた。読み手が和歌の上(かみ)の五句を詠み終わらないうちに、とり札が四方にとび散るという速さ、とると言うよりたたきつけて払いとばすという選手たちの鋭い動きに、ついひき込まれて、しばらく見入っていた。
そのうち、ふと自分が百人一首に親しんでいた子供時代を思い出した。それは、家族と一緒に遊んだ正月の夜の情景である。子供時代を過ごした郷里沢内村は、雪の多いことで名の知れた村であるが、寒くてつらかったという思いではない。雪にすっぽり覆われた家々では、長い冬の夜も、それなりの楽しい暮らしがあったと思う。
わが家の家族は、ゲーム好きで、雑誌の附録のゲームなどでよく遊んだものだった。中でも正月に持ちだして遊ぶのは、百人一首かるたで、大人のかるたという緊張感も加わり、それぞれ座り直すなどして真剣だった。
作者の名も、詠まれている内容もわからないまま、ただ並んだ絵札を見つめて競いあった。
読み手は、いつも母で、自己流だったかもしれないが、独特の抑揚をつけ、朗々と読み上げた。上(かみ)の句を読み上げ、下(しも)の句は二度繰り返して読んだ。
子供たちは、下の句の始めのことばに耳を傾け最初の文字を探して競いあった。お手つきがあって、ケンカしたことも今は懐かしい。
それぞれ好き和歌(うた)があったように思う。わたしは、「天つ風雲の通路(かよいじ)吹き閉ぢよ乙女の姿しばしとどめん」だった。意味はわからないが「乙女」ということばに憧れの思いでもあったのだろうか。乙女の「お」は「を」であった。この和歌の詠み人が、僧侶であったことを知ったのは、成人してからである。
百人一首かるたには、「坊主めくり」という遊び方もあって、ルールも単純なので一番人気があった。この遊びは、絵札を裏がえしにしてテーブルの中央に重ねて置き、順番に一枚ずつめくってとり枚数を競う遊びである。
絵札には、下の句と作者の姿が描かれてあった。めくった札が次々と増えていくことはうれしいが、一瞬にしてためた札を手放さなければならない時がくる。その時とは、めくった札に「坊主」が描いてある時であった。それがこの遊びのルールであるからやむを得ない。
財産を失ったと口惜(くや)しがる者、囃(はや)したりする者、しばし騒然となるが、救いの神もあり、札の絵が「天皇」または「皇后」であった場合は、手放されてある札全部を自分のものにすることができるルールもあって面白かった。
最後の一枚をめくったら「天皇」がでて大金持ちになったりする。そんな時、口惜しさをおさえて皆で拍手したりするのだった。
軒先につららが何本も垂れさがり、しんしんと外に雪が降っても、正月の夜は楽しく、まきストーブが燃える暖かい部屋で、家族で夜更けまで遊んだ思い出の数々、当時の若かった両親の姿、兄妹のしぐさまで思いだされて、無性に懐かしい。
結婚して、娘たちや孫たちとの正月遊びに百人一首かるたが定番になったのは、いつのころからだったろうか。いろいろなゲームが出回る時代になってもわが家には百人一首が登場し、中でも「坊主めくり」は人気があった。
かるたを囲むこたつの輪の中には、おばあちゃんもいつも居て、順番が回ってくるたびに「坊主が出ないように」と祈るようなしぐさをするのでおかしく、坊主が出ると「あやや、ことやった(失敗した)」と言うので、また皆で笑ったものだった。家族みんなで楽しく遊んだ百人一首かるたは、今は、もうない。
3年前、おばあちゃんは亡くなった。ひつぎを前にして、葬儀屋さんが「おばあちゃんの好きだったものありませんか」と言った。その時突然と孫が走って行って持ってきたのは、百人一首の箱だった。そのころ、はやっていたUNO(うの)というゲームも一緒だった。
おばあちゃんは、亡くなる半月前の敬老の日に、長寿百歳を祝う小泉首相名入りの「褒賞状」をいただいた。明治、大正、昭和、平成を生きて、最後に去来した思いとは何だったろうか。
百人一首とUNOを小脇に抱え、旅立っていったおばあちゃんは、あの世でも人気者になっているかもしれない。
小正月に例年のように墓参りをした。夫がスコップで雪を除き、小さな洞(ほこら)を作って、ろうそくに火をともすと、雪明かりのように燃えた。時折顔を見せてくれる孫たちの成長振りなど語りかけながら拝んだ。
帰途、どうしたことか、思い出せずにいた百人一首のいくつかが、すらすらと頭の中によみがえってきた。「久方の光のどけき春の日に しず心なく花の散るらん」等々。
風化していく百人一首に、なぜか、今興味を覚えてきた。古語を理解することは難しいが、今なら、作者の思いなどにも触れることができそうな気がしてきた。
百人一首には、恋歌も多い。結構楽しめそうな気がする。自分のための百人一首を、買ってみようと思う。
三日坊主のわたしだが、小さい夢を描けた今年の始まりである。
(盛岡市本町通)
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