2006年 2月 4日 (土) 

       

■ 〈賢治の歌〉302 望月善次 いかでわれ再びかくは

 いかでわれふたゝびかくはねがふべ
  きたゞ夢の海しら帆はせ行け
 
  〔現代語訳〕どうしてわたしは、再びこのように願うべきなのでしょうか。(願うべきなのです。答えは簡単に出るようなものではないのですが)この夢のような海の上を、白い帆はまっしぐらに走って行ってほしいものです。

  〔評釈〕「歌稿〔A〕」の「大正五年三月より」七十七首中の十一首目で「266」歌。昨日の「265」歌や明日取り上げる「267」歌と並んで、話者の問いが根源的なものへと向かっていることを示す同種の作品群のうちの一つ。具体的に選択している素材こそは同一ではないが、いずれも、その根源的な問いへ向かって格闘しているのだと読んでよいだろう。「265」歌においては、その根源性は、「そらのはためき」によってもたらされたが、抽出歌においては、「海」によってもたらされている。「問いは既に答えを含んでいる」という深層心理学の知見によるまでもなく、願いの必然は問いの中にあるがその解答は簡単に出てこない。自分自身への励ましと必死の祈りとが同居する結句である。
(岩手大学教授)

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