2006年 2月 4日 (土) 

       

■ 〈たきびの詩人巽聖歌〉203 小川達雄 戦争と歌人・上3

 どの短歌雑誌でも、九月号には戦争関係の歌が多くなった。それは出詠、選歌、編集のことがあって、活字になるのはふつう二ケ月後、という事情によるが、これに関して、『多磨』昭和十二年十月号の佐野四郎氏「事変と短歌」では、こう記していた。

  「日支事変の進展と共に、この国家的民
  族的重大事に対する歌人の関心も亦白熱
  化して、事変関係の作歌は九月号発表各
  誌の分だけでも一萬首に達するであらう
  と推察される。」

  九月号だけで一万首というのは、あるいは多すぎると受け取られるかもしれない。しかし全国の短歌雑誌はおよそ三百余、その一冊に戦争の歌は三十首、とまず勘定してみると、総数はたちまち一万に達してしまう。

  この戦争は、初期には北支事変と称し、九月二日の内閣告示によって支那事変、と呼称されることになったが、この支那事変関係の歌は、じつにおびただしい数に上ったにちがいない。そして、その最初に多かったのは、なんといっても、出征に関する歌であった。

  御堂筋朝まだ早き陽のかげろふ召さるる
  兵のトラックがつづきぬ
        『多磨』昭129 吉田恵弘

  うち笑みて歓呼に応ふる兵観れば炎天の
  日ざしははるけくしあらむ   同

  時至り国民皆兵の心つよし歩調力ありて
  目先すぐる剣    同  平塚伊都子

  町の炎天に影あふるものただ暑し出征兵
  のゆきてなほ人つづく 同  水谷静子

  こうした作品に応じて、主宰の白秋はこう述べていた。

  「北支事変がいよいよ拡大して、全面的
  の戦闘になった。多磨の会員や、周囲の
  人々も続々として出征また召集されさう
  である。

   国民詩人としての私の報国の一念は、
  国民歌謡にある。軍歌にある。この筆に
  ある。筆にある。」

  この出征について、数は少ないけれども、悲しみの面からのべた歌をあげておこう。

  ひとり子をいくさの中におくることもし
  ばらく忘れ虫の声をきく
      『心の花』昭129 萩倉ちさゑ

  水足りて田はいち面にしげれどもわが村
  の壮者多く召されし
          『潮音』同 安田尚義

  乳子(メコ)抱きてむせび泣くをみな只
  一人兵を送りてゐたりけるとぞ
      『心の花』昭129 小宮良太郎

  兵送るどよめきにたゞにけおされてたち
  すくむ人よ齢老いたる   同

  この人は、翌月にも次の二首を載せた。
  召されゆきて幾日か経つる人の家のくら
  しひそけし朝夜に見れば

  父は召されし五人(イツタリ)の子のそ
  の母の夕炊(ユウカシ)きする水の音き
  こゆ

  たくさんの中からこうした歌を見つけると、万葉巻十四の、防人歌の中から悲しみの歌をひろい出したような気がしてくる。

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