■ 〈いのちの旅ネパール〉36 吉田律子 愛したい愛されたい
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ネパールの半数以上を占める貧困層のあいだでは、小学校教育すら終えていない人が圧倒的に多い。つまり親たちも低賃金で不安定の仕事にしかつけない。子どもたちも苦しい家計を助けるため、学校よりも労働を優先し親と同じ道をたどるしかない。結局、貧困から抜け出せないでいる人たちが多数です。
モーニングスターの施設に2カ月ぐらいの赤ちゃんを抱いた若い女性Nがいた。Nの母親は失踪、父親は事故死、家出をし路上生活を始め、物ごいをして生きることを覚えた。その結果、見知らぬ男にレイプされ妊娠。この赤ちゃんはレイプの結果産まれた子どもだ。自分をゴミ同然だと思っていたため「命」が見えなかった。
あまりにも若いNは育児ができずに困りはてていたときに、モーニングスターのビシュナ神父に助けられた。神父は毎夜に町をパトロールしている。日本の夜回り先生と同じです。声をかけられ救世主にあえた思いで施設に入所した。弱々しい赤ちゃんは母の腕に抱かれ、その存在は母にとって地球よりも大きいことを知った。入所して変わったことは、施設の子どもたちの温かいまなざしと共通体験の仲間意識だった。神父さんの「施設のみんなの赤ちゃんだよ」と紹介されたときにNは思った「今はとにかくここで頑張る、赤ちゃんのためにも、そして何より自分の自身のためにも」。絵画教室ではみんなが楽しく描いている様子を赤ちゃんを抱き、ニコニコしながら見ていた。また大きい子たちは、ラグビーのボールみたいに、次から次へと手渡し赤ちゃんをあやしている。小さい子も、赤ちゃんのホッペをつついたり、ベロベロバーをしたりわたしも抱いたがおっぱいのにおいがした。若い母親は一番必要としていた「人を愛し、愛されること」、もう一つ「命の重さ」を赤ちゃんに教えられたのだ。
路上の過酷な生活を生き抜いてきたのだから、その根性を子育てに母親として生かせることを祈ります。街角は、物ごいの母親があちこちに立ち、観光客や通りの人々に声をかけている。声をかけられたらわたしは決めてある小銭を渡すことにしている。3カ月ぐらいの赤ちゃんを抱いた母親は、こぎれいにしており、英語で話しかけてくる。「ミルクを下さい」。わたしが小銭を出したら「ノーマネー」と受け取らない。「この赤ちゃんは今おなかをすかしているのでミルクを下さい」手に空の哺乳瓶を持ちながら「そこにスーパーがあるから一緒に行ってミルクを買って下さい」と言う。小銭ではミルクは買えないための知恵かもしれない。赤ちゃんのため必死なのかもしれない。英語がペラペラな物ごいに違和感を感じ、すばやく逃げた。
あとで話を聞くと、スポンサーを見つけ、ミルクのほかも買わせられるから気をつけるようにと言われた。知能犯、物ごいもいることに悲しさを覚えた。王宮通りには、まるで定位置、縄張りがあるのか、見慣れた物ごいが並んでいる。老人、幼子と母親、ライ患者、マオイストによる負傷者。昨年取材ぜめになった少年に今年も会えた。少しやせたようだった。物ごいの親子には、また赤ちゃんが生まれていた。両手や両足がない人々が、ステンの缶一つに命をかけ、一日中叫び続けている姿も現実だ。
路上で物ごいや靴磨き、あるいは盗みをして生き延びなければならないストリートチルドレンが町にあふれている。地球上のおもに経済的に貧しい国の都市の路上に生きる子どもは一億人を超えるといわれている。3人ぐらいでグループを組み行動していた男の子。一組は拾ったものを食べている。一組は地べたに座り石ころでかけみたいなことをしている。記録に写真を撮っていいかと聞くと「OK」。撮り終わると「マネーをくれ」と詰め寄られる。お金を渡したら奇声を上げて喜んでいる。通り道では傍若無人の歩き方でふざけ合ったり、キックをしたりして誰一人注意する人もなく、無感心、見て見ぬふりをしている。貧しさと大人と世界の無感心に絶望し将来を見失っているようだ。
路上でも裏切られた傷は深い。夜回りビシュナ神父に出会うチャンスがあれば、きっと愛情と努力と時間が一筋の光になるでしょう。
ほこりとあかとボロ布にくるまり放浪するストリートチルドレンと制服姿の町での、すれ違う瞬間に、子どもたちの交差点を見たようだった。
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