「宮沢賢治学会」というのがある。そのホームページ上で発見があったと、著名な研究者でもあり詩人でもある入沢康夫が書いている(『図書』05年12月号)。
童話『氷河鼠の毛皮』にある「ふん、バースレーかね」のバースレー、辞書にも解説書にもなく、「たぶん安物の毛皮か何かの銘柄だろうぐらいに考えて、読み飛ばしていた」彼が、ホームページ上の掲示板を読んで、「目からウロコの落ちる思いがした」と言うのだ。
その掲示板の書き込みは「それは海事用語のberth layであろう。バースは港湾の繋留地で、レイはそこに錨を下ろして船を繋留すること」、つまり「船員にとっては休暇期間でもある」から、「お前は今繋船休暇中なんだろうと言っているのだ」と。「たぶんこれが正解だろう」と彼は書いているが、断定は避けている。
あの有名な写真、草木のない田園をうつむいて歩く賢治の姿は、ベートーベンをまねたものだという人もいる。賢治はうつむいて地面を見ているが、実は宇宙のことを考えている雰囲気である。賢治はスケールが大きすぎてつかみ切れず、なんでもないことが、なんでもなくはない形でとらえられたりする。言ってみれば謎が多く、誤解されかねない。
山男が民家に押し入って「かまど」まで食ってしまったという童話では、研究者は、恐ろしい山男のことだから、てっきり煮炊きをする「かまど」まで食べたと解釈した。
それを清六さんが笑って訂正したという、「かまどっていうのは、この辺では、リンゴの芯(しん)のことですよ」。このごろはめったに使われないが、たしかに「リンゴの芯」を「かまど」と言った。
フローヂェントリーというカタカナも、「凍れる木(frozen tree)」と読まれ、賢治ならではの用語と思われたが、どうも違ったらしい。『アフトン川の流れ』というスコットランド民謡(詩ロバートバーンズ)の歌い出しの、「やさしく流れよ(flow gently)」だった。
『《セロ弾きのゴーシュ》の音楽論』の梅津時比古が再び本を出した。「ゴーシュ」フランス語説を否定するもので、ドイツ語説である。
そもそも、ゴーシュをフランス語だと言い始めたのも、そう古い話ではない。アッシュもナッシュもパトラッシュも名前だから、ゴーシュだってありうる。なのに、フランス語説が出て、ゴーシュは「ぎこちない、不器用な」という意味だとなった。確かに不器用なチェロ奏者だった。ところがこれも違うと言うのだ。
ドイツ語(の古い方言)説の根拠はこうだ。賢治はドイツ語の辞書を持っていたと推測される(彼が聞いたベートーベンの『合唱』はドイツ語だ)。そこで著者は、当時使ったと考えられる『大正独和辞典』を探し当てる。そこには、賢治が「ゴーシュ」と読みそうな語があって、「@郭公A愚人B間抜けC青年」とあった。『セロ弾きのゴーシュ』ではカッコウが重要な役目をしており、これは大変な発見である。
「いやあ、あれは弦がこすれた時の音ですよ」なんて、まさか賢治さん、言わないでしょうね。
(盛岡市本宮)
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