県立埋蔵文化財センターと県文化振興事業団埋蔵文化財センターが主催する17年度埋蔵文化財公開講座・遺跡報告会が4日、盛岡市内丸の県民会館で開かれた。東北福祉大学の岡田清一教授が「義経と平泉藤原氏」と題して講演。盛岡市の細谷地遺跡などに関する調査研究が発表された。
岡田教授は義経の生涯や藤原氏の繁栄と滅亡などをテーマに話した。「義経の人物像を波乱に満ちたものとするため奇襲戦法のイメージが付けられている。当時は戦に一定のルールがあったとされるが、実際には奇襲などは日常的に行われていた」と指摘。
義経に関する資料も後世に記された文献が多いことから「その文献が記された時代性が反映されていることに注意しなければならない」と述べた。
藤原氏の奥州支配については、出羽や陸奥の北部に藤原氏に代々仕えた『郎従』が多く、南部の豪族とは姻戚(いんせき)関係を結んでいた関係性に着目。平泉町の柳之御所遺跡で発掘された宴席の座席表である「人々給絹日記」から「ご恩と奉公の関係性を確認する席がしばしば設けられていたと考えられる。奥州一帯に強大な力を誇った藤原氏ではなく、その弱さも示す資料ではないだろうか」と見る。
岡田教授は「鎌倉幕府の樹立過程で疎外された勢力の結節点となる可能性を、秀衡は義経の血筋の良さに期待したと思う。その義経を討った泰衡への歴史上の評価は極めて低いが、頼朝の価値を上げるため『吾妻鏡』にそのように記されたとみられる」との考えを示した。
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