■ 〈経済〉業界トップ企業が倒産した理由とは 佐藤さんが体験談講演
|
| |
|
|
| |
 |
|
| |
元佐藤工務店社長の佐藤好男さん
|
|
05年度県央地区建設業経営セミナー(県商工会連合会県央広域指導センター主催)が3日、盛岡市松尾町の建設研修センターで開かれた。元鉄骨会社社長の佐藤好男さんが「不倒企業の条件」をテーマに講演。詰め掛けた県内の建設関連の企業の経営者ら40人を前に、自らの会社の倒産までの経験談を語った。
佐藤さんは先代から引き継いだ創業76年の鉄骨会社、佐藤工務店を日本一の鉄骨会社に急成長させながら、96年に負債220億円を出して倒産させた。「わたしが仕事を開始した61年は零細企業。しかし家族と一緒に日本一の鉄骨会社になる気概を持ち仕事した。鉄骨業界には大手の会社がない。82年には売り上げ28億円を記録し日本一に。経常利益は約5千万円だった」と言う。
創業70年を迎える1990年に年商300億円、経常利益15億円を達成するという目標を設定したのが83年のこと。そこから佐藤さんの規模拡大路線がスタートした。
「規模拡大の最大の課題は職人をどのように増やすかだった。当時鉄骨組み立て職人は3K(きつい、きたない、危険)の職種の一つと言われた。全国500の高校に募集を掛けたが数人程度しか集まらなかった」と言う。
「当時、男女雇用機会均等法が施行された時期だった。女子生徒も応募可能として募集した。そして女子7人が入社した。彼女らが仕事を開始してからNHKが取材した。放映後にマスコミ各社が殺到し反響を呼んだ。翌年の応募は300人を超えた」と、女性採用が功を奏したことを紹介した。
80年代後半は仕事が増加し、生産性も上がり受注単価は増加の一途をたどり急成長。90年には年商350億円、経常利益40億円を記録し目標を大きく上回る結果になった。
「創業70周年に大記録を達成した。一流ホテルで会社関係者や協力会社らを呼び5万円のフランス料理を出した。10年後の2000年には1千億円企業を目指すと豪語した。当時、リムジンに乗りハワイには別荘があった。ここが頂点だった」と当時を振り返る。
その後、業績は伸び悩んだ。「不況に入ったが大して気にしていなかった。過去にも何度か不況は経験しており2、3年で回復すると考えていた。だから何も手だてを打たなかった。当社だけでなくゼネコンのトップらも当時はそう考えていた。しかし2年、3年たっても回復しない」。初めて過去の経験が通じないことを痛感したと言う。
これまで無条件で融資してきた金融機関から融資を断られた。「メーンバンクの本部で決定だった。わたしは土下座して頼んだが目の前で自殺しても融資できないと言われた。もし融資すれば示しが付かないと言われた」と、金融機関との最後のやりとりを吐露した。
佐藤さんは現在、自らの経験を生かして経営者向けのアドバイザーとして活躍している。「築城は3年かかるが落城は3日。金も人との縁もなくなった。脇が甘かった。感謝する気持ちもなかった。ホリエモンも同じ。一生懸命に上り詰めたが下りは早い。わたしの経験を反面教師に」と話していた。
|
|
|
|
|
|
|