2006年 2月 12日 (日) 

       

■ 〈盛岡百景〉57 平野旅館 映画にも登場

     
  明治初期の建物で商いが続けられている平野正太郎商店  
 
明治初期の建物で商いが続けられている平野正太郎商店
 
  村松友視原作の映画「時代屋の女房」に登場した趣のある店前。2階建ての日本家屋だが、かいわいに残る町屋に比べて高さがないことから古い年代に建てられたと想像が付く。かつて牛方宿だった平野旅館(現平野正太郎商店)。向かいに住んでいた平野家が1871年(明治4年)に建てられた三軒長屋に移り、1棟として利用するようになった。今は旅館業は廃業し荒物・雑貨店を営む。

  本町通1丁目内のこの辺りは旧町名を油町と言った。下小路から沿岸部に通じる野田街道の起点となった。街道を通って塩、海産物などが集積する場所であり、上の橋の上流には牛越場の名残をとどめる。街道沿いに牛方宿が点在。平野旅館もその一つだった。

  平野家は藩政時代、盛岡に来た河内国出身の兄弟の兄・河内屋権兵衛の系譜で、塩問屋を皮切りに商売を拡大していった。今もみそを製造、販売しているのもその表れだ。

  今日、商売を営むのは一緒に商いをしてきた分家。市民には聞き覚えのある「河権」は本家の屋号。このため、店主平野正雄さんの父正太郎さんの代のとき名前を取って平野正太郎商店にした。

  1873年5月27日、現田野畑村出身の畠山太助が宿の裏手にあった厩(うまや)で首をつり亡くなった。太助は1853年(嘉永6年)の三閉伊一揆の指導者で、明治に入って地租改正の反対一揆の計画に連座した嫌疑で盛岡に連行された。平野旅館に預けられ、連日、厳しい拷問を受けていたという。

  当時の主人権次郎は平野家の菩提寺であった本誓寺の墓地に埋葬した。先祖と同様に拝むようにと家族に話し、それは代々伝え守られている。正太郎さんの代には顕彰碑が建てられた。

  旧油町も建物の建て替えも進んでいるが、辺りには明治の町屋が点在して数軒残り、懐かしい香りがする。平野旅館の建物も2階はトタン屋根になったが前面のひさし部分はかわらぶき。木枠の窓や戸、木格子と、城下町の風情と情緒を感じさせる。店内に足を踏み入れると時代をタイムスリップする感覚にとらわれる。

  しかし、すべてが昔のままではなく今様の装いもある。店の前に並べられる商品は、昔ながらのものもあれば、カラフルなプラスチック製品も。過去の時間に閉じ込めた博物館的なところがなく、現役ならではの日常の中に歴史が息づいている雰囲気が心地よい。 (井上忠晴記者)


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