■ 〈たきびの詩人巽聖歌〉210 小川達雄 戦争と歌人・上10
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前回には斎藤茂吉の歌をあげたから、ここでは支那事変に関する名士の作というか、名の通った人の歌をあげておこう。
戦況ニュースのラヂオの音の一しきりや
めば庭には虫鳴きてゐて
『短歌研究』昭1210 相馬御風
塹壕の朝の静けさに黄鳥を聞きしと書け
り工兵伍長K 同 同 同
竹内六郎君所属部隊の写真あり
この行くは君が部隊ぞ雨にしなふ一樹の
下の橋を渡りて
『アララギ・支那事変歌集』土屋文明
騎馬将校に先行する鉄兜の隊列は向うむ
きなれば君を見分ちがたし
同 同
相馬御風という人について、わたしはほとんど知るところがない。しかし、この作品を読むと、しっかり見届けている方だな、と思う。二首めで「黄鳥」というのは、うぐいすの別名である。従って、ここではウグイスと読んだほうがいいかもしれない。
文明の歌は、前回にあげた茂吉と同じ歌集にあった。戦争の歌については、茂吉の例でもわかるように、どうしても選者の歌のほうが概念的で、応募者の作品には負けてしまいやすいようである。しかしこの文明の作品には、やはり選者の風格があったようである。
ここからは『短歌研究』に掲載の作品をあげておこう。
土佐男の子益喜(マスキ)が兵に召され
ぬと云ふこのたより聴きのよろしき
昭1210 吉井勇
送られ来し兵は しづけき面あげて、挙
手をぞしたる。はるけき その目
昭1212 釈超空
吉井勇のは、これもなにか、酒でも飲みつつ歌っているような、ゆったりとしたところがあった。人は、変わるものではないな、と思わせられる。
釈超空のは、胸の最深部にスッとくる切なさがあるように思う。戦争のことを歌っても、この人には静謐と真率さがあった。
戦線が青海波など描くやうにひろがり雪
の季となりにけり 昭131 与謝野晶子
見るままに上着へ雪の溜まり行くわが銀
幕のみいくさの兵 同
覚めぬべし雪よ御国に抗(アラガ)へる
迷夢の上へ降り積れかし 同
この時代に英雄として死なむよりただ一
介の老書生となり 昭131 土岐善麿
総攻撃の砲声のもとに怖えつつ遁げまど
ふ首都の民ならずわれらは 同 同
晶子は、戦線の拡大を「青海波」の動きにたとえて表現した。さては青年貴族光源氏の、「青海波」の舞を連想していたのであろうか。この人は自己陶酔型の人であったから、日常いつでも源氏物語を思い浮かべていたように、そのイメージを描き出したのであろう。
善麿の歌には、やはり自分をきちんとたしかめているな、と感心させられた。啄木の三行歌に影響を与えたというのは、たんに形式の範囲だけではなかったと思う。
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