2006年 3月 2日 (木) 

       

■ 原敬の妻アサ、きょうが命日 大槻由生子さんが一人芝居続ける

     
  大槻由生子さんの一人芝居「一山原敬妻阿佐」(盛岡市の南昌荘、2004年)  
 
大槻由生子さんの一人芝居「一山原敬妻阿佐」(盛岡市の南昌荘、2004年)
 
  原敬生誕150年に当たる今年、県内ではさまざまな行事が行われているが、3月2日が原敬の妻、アサの命日と知る人は少ない。3年前から一人芝居「一山原敬妻阿佐」の中でアサ役を演じ続けている大槻由生子さん=盛岡市在住=は「輝かしい原の業績を陰で支えた女性の存在も、広く知ってもらいたい」と思っている。

  岩谷堂出身で、東京で芸者をしていたころに原と出会ったアサ。原の死に臨んだきぜんとした態度や、死後の後始末の見事さから賢夫人とたたえられたが、その1年半後の1923年(大正12年)に後を追うように他界した。

  大槻さんとアサのかかわりは、13年前にさかのぼる。原を取り上げたテレビ番組の中で、アサの役とナレーターを担当。その生きざまに感動し、脚本を担当した植田二郎さんに一人芝居用に作り直してもらい、2003年に初めて上演した。

  盛岡に帰ると、市内の芸者たちを「総揚げ」したという逸話が残る原。八幡町の芸者だった大槻さんの母は、10代の見習い時代に、原とアサの側近くに寄ったことがあるとよく話していた。

  アサの役作りをするとき「普通の奥さんとしてではなく、芸者出身ならではの粋なところを出したいと思った」と大槻さん。自身、子供時代に芸者の世界に育ったことが役立った。初めての一人芝居の上演は、ちょうど母の死後間もなくのころ。「母が生きていれば喜んだだろうな」と強く感じた。

  一人芝居を始めて以来、アサの命日には墓参りを欠かさない。「原の偉業は、陰で支える妻の存在があったからこそ花開いたと思う。アサの生きざまも、たくさんの人に知ってほしい」と願っている。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします