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講演する結城氏
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山形県の民俗研究家の結城登美雄氏が1日、盛岡市乙部の市乙部農業構造改善センターで「地元学は地域を変える」と題し講演した。乙部地元学を楽しむ会(下河原善嗣郎代表)と地元情報誌「やさら」の主催で約70人が参加。結城氏は乙部の風土に基づいて地元学の心得を説いた。
乙部地元学を楽しむ会の下河原代表が「生まれ育ってこの年になるまであまり振り返って地元を見直したことがなかった。皆で地元学を楽しんでみたい」とあいさつし、結城氏を紹介した。結城氏は宮城教育大学非常勤講師、東北各県や自治体の地元学のアドバイザーを務め、04年芸術選奨文部科学大臣賞を受賞している。
結城氏は「日本は7万1千の村の集まりだった。乙部も村で4つの地区が集まって乙部になったと聞いているが、4つは大字か小字ではないか。岩手県は1200か1300の村の集まりだったと思う。明治22年以前は岩手県で1千くらいの村の集まりだった。例外的に盛岡や代官所のある遠野があるくらいで、日本はひとにぎりの町と大多数の村の集まりだった。村がどのようにして成立したか。社会学では自然村という。ここなら北上川も近いし、はんらんしても堤防を築けば田んぼにできる。裏山に木があって薪(まき)が取れるし、わき水がでるので暮らすには良いところだと、どこからか家族がやってきてここに住もうではないかと、何組かの家族が住み始めた。それは江戸時代、鎌倉時代、奈良時代か分からないが、最初に住み着いた家族が歴史の始まりだ」と土地の成立を民俗学的に説明した。
「光も風も水も人間が作ることはできないが、土だけは人間が努力すれば作れる。山の枯れ葉を集めて腐葉土を畑や田んぼに敷きこむ。草を刈ったら堆肥(たいひ)を作り、良い土にしようと努力してきたのが農業の歴史だ。良い土を作って光や風が味方をしてくれれば食べるものを与えられるという信仰だ。それが生きていくときの一番の土台になった。何よりもそれを大事に、乙部の水、風、光、土について考えるとおそらく何百年も何千年も前にここがいいと言った家族の気持ちとつながる」と述べ、地元学の精神を強調した。
「秋田に行ったとき、おじいさんが役場ではNPOということが大事だと言っているが、NPOというのは何だ、説明されてもよく分からないという。だからあれば結いや講のようなものだと言ったら、それなら大事なことは分かると言った。若い人はアメリカから輸入してきた考え方でNPOと言っているが、日本には何百年も昔からそういうものはあるのだと。結や講は昭和40年代から一気に失われた。江戸中期から発達したもので、立派な親方がいるところには発達しなかった。みんなが三反百姓のようなところで発達した」と話し、互助の精神を基本とした。
結城氏は「木造校舎は明治時代の村の人たちの思いによって建てられたからこそ大切であり、建築上のデザインのレベルで大切にしなければならないのではない。昔の人がどんな思いでこの建物を造ったか考えて大切にしなければ」と話した。
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