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文芸評論家の高橋世織氏 |
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06年岩手大学人文社会科学部学学術講演会は2月28日、盛岡市上田の同大学で開かれ、元早大教授で文芸評論家の高橋世織氏が「賢治生誕110年〜21世紀の贈り物」をテーマに講演した。歴史上希有な賢治の存在をたたえた。
賢治は日本の文芸史上で1千年に1人出るか出ないかの人物とし、今後も数世紀は現れない偉人と位置付けた。「賢治は大変幸運な時代の表現者だった。近代文学の幸福な条件の中で表現した。規制なく自由に書けた。しかしその後の表現者は文壇の規制の制度の中にあり文学は商品化されてしまっている」という。
賢治の作品は1950年(昭和25年)、岩波書店から岩波文庫で出版された。当時、岩波書店発刊の雑誌「思想」の責任者だった哲学者の谷川徹三が、賢治の作品の出版に力を注いだという。
高橋氏は「死後に本になることも幸せ。岩波文庫で出版されることが難しい。読者のレベルは高い。恵まれている」と岩波文庫として本になった点も高く評価した。
賢治の生きた1900年代初頭はユニークな時代と指摘。「20世紀の中で一番面白い時代。賢治は24年に注文の多い料理店、春と修羅を出している。イタリアのプッチーニはトゥーランドットを書き上げた。超現実主義が宣言された年」という。
高橋氏は賢治に似た人物としてモーツァルトを挙げて比較した。「モーツァルトは35歳、賢治は37歳で亡くなった。2人とも多言語を扱う。モーツァルトはラテン語で手紙を書きオペラはドイツ語で仕上げた」という。
賢治については「仏教用語や化学のほか東北弁などもある。当時の盛岡高等農林は全国各地からエリートが集まった。賢治の使った東北弁は山梨弁や関西弁も混じっており単純な東北弁でない。動物の声もある」として多言語主義者と断じた。
高橋氏は「わたしは賢治より長く生きているがまだまだ賢治に届かない」と話していた。この日は学生や一般市民ら80人が参加した。
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