2006年 3月 5日 (日) 

       

■ 〈雑誌創刊号の話〉244 成ケ澤栄治 「あるとき」

 昭和53年5月、文芸誌『あるとき』(A5判・156ページ)が、弥生書房から創刊されました。

  「編集室より」には「…(略)ふたたび帰らない現在(いま)を/大切に生きようとする/あなたへ/あなたのところへ/この/ささやかな一冊に/大きな願いをこめて…」と、書くのです。

  この年、桃井かおりが、知性と痴性をうまく演じ分けて、「知性の差が顔に出るらしいよ…困ったわね」とつぶやく、新潮文庫のテレビコマーシャルが、活字離れの若者たちからも注目されました。

  『あるとき』の表紙を描いた、若い画家の山本文彦も「ソノリテという言葉が好きだ。響き合いとでもいうのか、画面の色や形がお互いに響き合って、充実した生きた世界を作り出す。そんな絵の出来ることをいつも願っているが、人と物、人と人とでも同じことだと思う。そんなことを思いながら鈴の絵を描いた」と、人のつながりを強調するのです。

  このころ、「まじめはダサイ」と抜かす若者が巷(ちまた)に群れていました。まじめな文芸誌『あるとき』が彼等に受け入れられるのは、難しいことでした。

  しかし、いつの世にも、ひたむきで清純な若者はいるものと信じて、本誌は創刊されたのです。

  座談会「八木重吉の詩と信仰をめぐって」では、牧師の佐古純一郎、仏教者の記野一義、そして八木重吉の妻であった吉野登美子が、重吉の詩を中心に、愛と信仰を語るのです。

  連載に、『洟をたらした神』で、大宅壮一ノンフィクション賞と田村俊子賞を受けた吉野せい(前年・昭和52年没)の日記「梨花鎮魂」が載ります。

  吉野の日記は、昭和5年12月30日に失った最愛の娘「梨花」を追憶するもので、翌6年の梨花の命日から始まるのですが、吉野の悲痛な自責の念が創作へと昇華する過程が描かれていて感動的です。

  小説に串田孫一「流れる時」、奏恒平「マウドガリヤーヤナの旅」、山本道子「扉」、コレット「犬と猫の対話」(訳島田宗一)です。

  詩に谷川俊太郎「五十音図」、高田敏子「窓の影に」の2編で、随想などに桑原武夫、福永武彦、津島佑子、大原富枝、戸板康二、高橋健二ら13名です。

  『あるとき』は、人々がどれほど深く文学の恩恵に浴してきたのか、それを知らしめる文芸誌です。

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