2006年 3月 6日 (月) 

       

■ 〈五線譜の向こうに〉70 林芳輝 作曲家はズウズウシイ

 3月の雪は春の前触れ?と友人が言ったが、わたしは35年前の大学受験を思いだす。試験と合格を1次・2次と繰り返し20日間近い試験をやり通すのは「よほどズウズウシイ神経の持ち主」でないと落後してしまう。試験の途中で雪に降られるとさらに落ち込む。当時3月4日から試験開始、最終合格発表は20日と決まっており、最終合格発表を見た時は「これで肩の荷が下りた」という気がした。このように3月の雪はわたしには良い印象はない。ただ一つ、試験中の良い思いでは2時間内でフーガ1曲を書く試験で2曲書き、デキのよい方を提出したこと。

  下書きの1曲は持ち帰った。下書き持ち出し禁止。分かれば受験資格停止(時効!そんなことができたわたしは「よほどズウズウシイ神経の持ち主」だったのか?と反省しきりのコンニチです)。

  「作曲家はズウズウシイ神経の持ち主」という逸話を思い出す。山田耕筰がある公爵邸に招かれた時、連れの指揮者・近衛秀麿が相手方の執事に「近衛侯爵である」と名乗ったのを聞き「私は山田侯爵である」と耕筰をもじった話。近衛さんは苦しい笑いをこらえるのに大変だったンだろうなァ…善く言えば作曲家は気転も利くユーモアもある〜わたしもユーモアくらい授かりたかった。

  3月の雪がそんなつまらない話を思い出させている時、ラジオが「N響が曲の進行にしたがって光る装置を開発、本番前に練習風景を公開」というアナウンスを思い出した(いつの放送か記憶がないが)。
  ロシアの作曲家・スクリャービンの交響作品「プロメテウス」の事である。ソビエト出身の指揮者・アシュケナージとしては、いつかはやるな!と予想はしていたが、就任して1年にも満たない彼がこんなにも早く大曲に挑むとは思いもしなかった。

  スクリャービン(Aleksandr Nikolaevich Skryabin 1872・1・4〜1915・4・27)の父は貴族の家系で外交官、母はペテルブルグ音楽院出、アントン・ルビンシテインの愛弟子でピアニスト。母はスクリャービン誕生1年ほどで亡くなり、父方の叔母に養育されたそうだが、彼は母の才能を受け継ぎ、陸軍幼年学校在籍中は多くの義務を免除されて演奏活動に専念したらしい。1888年モスクワ音楽院に入学、92年の卒業にはピアノ演奏はラフマニノフと競い、スクリャービンは2位で卒業している。二人とも作曲家・演奏家という二足のワラジで活躍するが、ラフマニノフはロマン派の流れをくむ作品を書き、スクリャービンは当時としては不協和音の多い現代音楽作品を書いている。

  スクリャービンの作品は少々ヒネた音楽なので一般的に知られてはいない。神秘主義に影響され、鍵盤を押すと発光する「色光ピアノ」を考案し、この装置を使った管弦楽「プロメテウス」を1910年に作曲した。しかし演奏会は不評に終わった。

  その前の1906年、スクリャービンはニーチェの哲学や神智学に影響を受け、神秘思想に凝って作った「法悦の詩」(管弦楽)が成功。これがアメリカ演奏旅行のきっかけになったが、しかし妻でない女性を連れて行ったためにスキャンダルとなり、アメリカ側から演奏会をキャンセルされた。スクリャービンもかなり厚かましく「ズウズウシイ神経の持ち主」だった…。

  現代の発光ダイオードによる「発光ピアノ」を使ったN響演奏会は日本の聴衆に受け入れられるか?わたしはスクリャービンのピアノ協奏曲が好きである。

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