2006年 3月 8日 (水) 

       

■ 〈たきびの詩人巽聖歌〉212 小川達雄 戦争と歌人・上12

 前回に記した昭和十三年十月の号には、巽先生の次の作品が続いていた。

    松本千代二君応召に当り、中村正爾
    氏と共に近歩三(注、近衛歩兵第三
    聨隊の略称)にて面会
  手擲弾投ぐる稽古をはげみゐる兵舎の横
  に見て過ぎにけり
  礼交はす兵と兵正面(マトモ)向きあひ
  たりしばしして歩みゆく暑き日中を
  物々しく兵舎ひそまれるはこのま昼出で
  征く際の準備(シタク)か急げる
    ある兵を
  ひた耐へて母の臨終(イマハ)を言ふと
  きしなみだ墜とせり召され征く兵
      ・
  たたかひと言へばすべてを挙げつくし悔
  なき今日をわが生きにつつ
  ひと代には会ひがたきことをわれ知れり
  国挙げていまここにいたるを
  これでわかるように、先生は戦争に背を向けていた人ではない。応召の知人がいれば、友人と誘い合って、面会にも出掛けた。その隊は「近衛」(注、天皇の親衛軍)といったから、そこは現在の北の丸公園の一郭である。

  その兵営では、手榴弾投擲をひたむきに稽古する、あるいは規律正しい兵士の群れを、先生は間近に認めた。「たたかひ」に「すべてを挙げつくし」というから、先生は国の命ずるところにはすべて従い、まじめな兵士たちのことは、一種の感動を抱いて見ていたのである。

  ただし、ここがかんじんのところであるが、新聞の大見出しにあるような、好戦的・煽情的な表現に、巽先生は決して乗ったり、押し流されたりはしなかった。自分一個の正直な感覚のままに、ひとりの心をうたった。

  わたしはもともと、先生のこうした態度を、すべて知った上でこの続き物を書き出したのではない。巽先生は、まさか鉦や太鼓の皇軍賛美はしなかったはず、といった、おおよその見込みを持っていたに過ぎないが、先生が詠んだ、当時の戦争関係の作品群を見ると、ほんとうに頭が下がるばかりである。
  先生にお目にかかっていた昭和二十二、三年の頃、わたしはそんなことは全く知らなかった。今となっては遅きに過ぎるけれども、
  「巽先生はえらかったですね」
  と、心から、思い出の中の先生に語りかけたいと思う。

  戦争関係の歌は、先生には比較的少なかったものの、やはりまだあった。その一つは、右の歌の翌々月、『多磨』昭十三年十二月号の「前線」一連である。

  ふつう、先生はじかに見聞きした身辺のことがらを歌うのが通例であるが、めずらしいことに、これだけは実際の体験ではなく、漢口陥落までのニュース・講演・画報などに接して、「現地のこころにて詠める」と記されていた。それは、よほど心を動かされたことがあったのであろう。

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