2006年 4月 5日 (水) 

       

■  〈たきびの詩人巽聖歌〉220 小川達雄 戦争と歌人・下2

 この時、最も早く戦争関係の詩歌を掲げたのは、十二月十日の読売である。高名な詩人の野口米次郎は、「語を同胞に寄す」と題して、次の詩を発表した。

  祖先を冒涜するもの、米国人よ、
  卿等は創造の苦みに国を築きしにあらず
  や。
  故国の頑迷を蹴って独立を叫びし時、
  卿等建設の理想天に沖せしにあらずや。
  卿等は新しき熱情に身を洗ひ、
  世界史に革命の頁(ページ)を書きしに
  あらずや〜(以下略)

  続いて翌十一日の朝日には、「開戦」と題する吉植庄亮の次の歌が載った。

  時しもあれ大みことのりは降りたり肉(
  シシ)むらゆらぎ命の激(タギ)つ
  大詔勅(オホミコトノリ)まさに降りて
  一億の民のこぞれるは清けくもあるか
         −五首中の二首−(以下も同じ)

  この「大みことのり」というのは、開戦当日に発表された次の詔勅を指す。

  天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ践メル大
  日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆
  ニ示ス 朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ
  宣ス(以下略)

  ここには日露戦争の際の詔勅に加えて、

  今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(注、キ
   ンタン−争いの始まり)ヲ開クニ至ル恂
  (マコト)ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕
  カ志ナラムヤ

  という、昭和天皇ご自身の遺憾の意が挿入されていることに注意をしておきたい。

  十二日朝日には、斎藤茂吉の「轟沈」と題する五首が載った。

  クワンタン沖に神集(ツド)ふまたたく
  まわが空軍はとどろきわたる
  罪ふかくおどおどとして北上せる敵戦艦
  はたちまち空し

  翌十三日読売には、土屋文明の「日本讃歌」五首が載った。

  大勅(オオミコト)たかく捧げてここに
  立つ東条英機吾等頼むぞ
  大き御代に生れあひたる此の歓(ヨロコ
  ビ)声を合せて讃ふべし今

  このように、各紙には諸家の短歌が続々と掲載されたが、それらがみな、いちように熱っぽく、神がかり的であったのは致し方のないこととしても、文明の場合には、今読んでも強い違和感を抱かされる。

  というのは、自分は圏外にいて、ただ東条首相をけしかけている調子が看取されるからである。歌のイメージをせりあげておいてストンと落とす、これはいかにも締切りに迫られた、いうなればヨイトマケ方式の粗末な作りであるが、それに加えて、首相という敬称もなく、呼びすてであるのも、固有名詞に対する、文明の突き放した姿勢がうかがわれるように思う。

  十五日読売には、相馬御風、十七日朝日には会津八一、読売の十六日二十日には村野四郎、西条八十、土井晩翆の詩と続き、紙面は戦争賛美の花盛りが延々と続く。

  次回には斎藤茂吉の歌った、マレー半島クワンタン沖の雷撃戦を記しておきたい。  

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