パリのセーヌ左岸、学生街の少し南には、かつて広大な所有地を誇った修道院が多かった。フランス革命後は、病院に転用された。
今日ではモンパルナス駅からリヨン駅に行く市内バス路線は、さながら病院めぐりのコースになってしまった。病院へ見舞いに行く乗客が多いからだ。
古い町並みの通り
サンジャック街の歴史は古い。古代ローマ時代にはパリとリヨンを結ぶ街道だった。
さらに太古にさかのぼると、マンモスの群れがセーヌ川の水を飲みに行く獣道でもあった。中世にはパリからスペインのサンティアゴ=デラ=コンポステラに赴く、ホタテ貝の殻をぶら下げた徒歩の巡礼者たちの道でもあった。
この通りはパリでも古い町並みがよく残されている。バル=ド=グラス北門もこの通りに面し、立派な守衛小屋がある。
「恵みの渓谷」の由来
話の出発点として国王ルイ13世と女王アンヌは結婚して23年間、子供が生まれなかった。そこで女王は神に祈願して、王位継承の男子が生まれたら、立派な協会と修道院を建立すると誓った。果たせるかな男の子が生まれた。
後の「太陽王」ルイ14世という偉大な王で、絶対王政を打ち立てる。5歳で即位して王太后となったアンヌが摂政になった。成人すると母親の干渉を拒否した。
仕方なくアンヌはこの修道院で生活する。修道院というよりも、高級老人ホームのようで、大貴族の未亡人たちが集まってきた。広々とした庭園があり、その一部は菜園として自給自足できた。いつでも庭園を散歩できたし、アンヌは自由に外出もできた。
修道院は繁栄し、建物がどんどん増築された。サントアンヌ礼拝堂はローマのサンペトロ大寺院の縮小版で立派なドームもついている。パリで一番典型的なロマネスク様式の寺院だった。数年前ここである日本画家の個展が開かれた。
革命後は病院に
フランス革命になると、各修道院は廃止された。ここはそのあと、陸軍病院と軍医学校となる。後に軍事医学の博物館も追加された。しかし一般公開されていないので、パリっ子すらその存在を知らない。
旧菜園の跡には1971年に近代的な陸軍病院が建てられた。軍人だけでなく、大統領や現職の大臣、元閣僚でも入院できる。一般病院とちがい、見舞客や報道陣がシャットアウトされているので、政治家たちには好評だ。
ミッテラン前大統領は、初め検査入院するといろいろなうわさがたった。たびたび入退院を繰り返し、大統領を辞めるとすぐ死亡した。
シラク現大統領も最近ここに入院し、政治生命は終わりに近いと思われた。報道管制のため本当の容体が一般に知らされず、必要以上に容体が悪いかと思われることもある。
(この連載は今回で終わります。次回から「欧州見たまま」としてヨーロッパ各国を紹介します)
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