その十二月十日は、開戦の朝のアメリカ太平洋艦隊・戦艦六隻の撃沈大破に続き、イギリス東洋艦隊壊滅の知らせに国じゅうが沸き立った日である。
大本営はこれを午後四時二十分の臨時ニュースで発表し、放送協会ではただちに作曲・古関裕而、作詞・高橋掬太郎と決めてオーケストラと歌手・藤山一郎をスタジオに待機させ、午後八時には次の軍歌を電波に乗せた。
滅びたり 滅びたり 敵 東洋艦隊は
マレー半島クワンタン沖に いまぞ 沈
みゆきぬ 勲(イサオ)し赫(カク)た
り 海の荒鷲よ 見よや見よや 沈むプ
リンス・オブ・ウェールズ(四番まで)
歌人たちは、次のようにうたった。
プリンス・オブ・ウェルズ号艦首もたげ
しその際の撃沈というはむしろすがしき
『多磨』17・2 林武夫
おごるものの脆さを見せて時のまに沈み
果てたる巨艦ウェルズ『潮音』峯村文人
プリンスオブウェールズ既に傾く写真見
つ波白々と駆逐艦逃ぐ
『アララギ』17・2 小暮政次
この「写真」というのは、左に掲げた海軍省貸与の一枚である。上は弾幕を張りつつ走る高速戦艦レパルスの最後の姿、下は一分間六万発の弾幕を誇るウェルズ号激射のようす。なお、この写真を見てうたった『心の花』川田順の作品をあげておこう。
黒煙を吐くにぞしるしレパルス号の艫(
トモ)に右舷に命中弾あり
レパルス号の左舷に団煙列なるは高角砲
を打つにしあらむ
この高角砲の歌は、乗組員の勇戦のさまにふれているが、明治三十八年の日本海海戦では、沈没に至るまで、艦尾から閃々と火を吐き続けた敵艦の報道があった。
「五月二十七日の戦闘に於て敵の旗艦ス
ワロフは砲撃の焼点となり火災を起すこ
と数回、艦の内部より煤煙を吹き上甲板
亦盛んに火の起るを見しも彼れ屈せず猛
烈に応戦せり而して其敵艦は艦上に一物
も止めずと雖も流石に敵の旗艦なり健気
にも其運命の終るまで有らん限りの砲弾
を発射して其艫の主砲の如きは最後まで
乱射して止まず」万朝報、明治38614
明治人の川田氏には、あるいは旗艦スワロフのことが印象に残っていたのかもしれない。氏の表現はあっさりしていたが、相手側をおとしめた作品が多い中で、それには少し救われたような気がした。
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〔マレー沖海戦〕我海鷲の猛爆下に逃げ
惑ふ英東洋艦隊−海軍省貸与、18日各紙
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