2006年 4月 14日 (金) 

       

■  死後80年経て岩手大学ミュージアムに 植物採集家の須川長之助コーナー新設

 
     
  岩手大学ミュージアム本館に新設された須川長之助のコーナー。長之助が作製した植物標本(12点)や長之助の名にちなんで「チョウノスケソウ」の和名が付いた高山植物の標本などが展示されている。標本の整理にあたった研究員の須田裕さん  
   岩手大学ミュージアム本館に新設された須川長之助のコーナー。長之助が作製した植物標本(12点)や長之助の名にちなんで「チョウノスケソウ」の和名が付いた高山植物の標本などが展示されている。標本の整理にあたった研究員の須田裕さん  
盛岡市の岩手大学ミュージアム(岡田幸助館長)の展示がこのほど、リニューアルされ、紫波町出身の植物採集家・須川長之助(1842〜1925)などの新しい展示が加わった。28日には長之助の植物標本の再整理にあたったミュージアム研究員(同大学名誉教授)の須田裕さん(70)が「須川長之助翁と岩手大学」と題して講演する。

 紫波町の小作の長男として生まれた長之助は19歳で北海道箱館(現在の函館)に渡航。来日したロシア人の植物学者マキシモビッチ(1827〜1891)と出会い、採集助手として全国を行脚した。マキシモビッチの帰国後も各地で採集した植物のさく葉標本をマキシモビッチのもとに送り続け、日本の植物研究に貢献したことで知られる。岩手大学には、盛岡高等農林学校時代に寄贈された長之助のさく葉標本が残されており、コーナーを新設して足跡を紹介することになった。

  須田さんの調査によると、同大学に残されている長之介のさく葉標本は、学校創立当時(1903年ごろ)、物品を納入していた木津屋8代目池野藤兵衛氏(1871〜1962)の番頭・木村謹蔵氏が寄贈したもの。マキシモビッチから依頼を受けていた長之助は、標本の作製に高価な紙を使用しており、これが木津屋との縁になったのではないかという。

  長之助は作成した植物標本の大部分をマキシモビッチへ送っているため、手元に残していたのは、ごく一部。採集場所、採集年月日などの採集記録が一部欠落している場合も多い。須田さんは「必ずしも学術的価値が高いとは言い難いが、日本の近代植物学の黎明(れいめい)期にあって、研究の発展を助けた長之助の標本として歴史的価値は高く評価されるべき」と話す。

  「100年以上前の植物が標本として残されている意義は大きい。実物がきちんと保存されていれば、技術が進歩した後の研究にも役立てることができる。展示を通して標本の大切さを理解してもらえるとうれしい」と力を込める。

  同大学には現在、長之助が採集した植物標本のうち680点が現存している。すべての標本の採集記録と画像を掲載したデータベースも完成させた。キャンパス内の農業教育資料館には、1928年の昭和天皇の学校視察に合わせて作られた「須川長之助翁記念」文庫があり、植物学・植物病理学教授として盛岡高等農林学校に在職した富樫浩吾(1895〜1952)が収集した長之助の遺品も収められている。

  講演会は28日午後2時から岩手大学農学部農業教育資料館で。入場無料。問い合わせは岩手大学ミュージアム(電話621−6685)。

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