2006年 4月 23日 (日) 

       

■  〈盛岡百景〉61 ショッピングモール大通

 
     
  映画館通りとの交差点付近には今もイチョウの木が残る  
 
映画館通りとの交差点付近には今もイチョウの木が残る
 
盛岡市を代表する商店街の一つ、大通りは昭和初期にできた街。南部氏が約400年前に居城を移してきた当時、一帯は北上川右岸だったが、川が切り替えられた。菜園の地名は城内御台所の「御菜園」が拡大したことに由来し、大通りを含め農地だった。

  明治に入って土地所有がどう変化したか詳細は不明だが、県有地と南部家所有に大別されたようだ。明治の民俗資料研究家・橘不染は『明治舶来づくし』で1884年9月16日「今の農学校にて丸馬場を造り、競馬を執行し」と書きとめ、黄金競馬場ができる前の一時期、競馬場があったことが認められる。

  三田義正、池野藤兵衛、池野三次郎らの実業家が南部家から水田だった一帯約7万5757平方メートルの払い下げを受け、1927(昭和2)年に南部土地株式会社を設立した。彼らは近代以降、盛岡の玄関口となった盛岡駅と藩政以来の経済中心地だった河南地区との間を連担するまちづくりの必要性を痛感したに違いない。今日の既存市街地〜盛岡駅西口〜盛南に先駆けた軸状都心構想と言えそうだ。

  開運橋と中の橋を直結する大通りと現在の通称映画館通りの2本を幹線道路にし、幹線沿いを商業地、周囲を住宅地とする計画だった。側溝、上下水道やガス管の敷設、岩手初のアスファルト舗装(31年)、イチョウやキササゲなどの並木と、最先端の街が現れた。35年には地域振興策として中央映画劇場が設立、開館し映画館通りが始まった。60年には大通りにアーケードが完成している。

  今のアーケードは98年に掛け替えられ、近代化事業共同施設事業として道路も歩道には御影石やタイルを敷き、景観の質を高めた。歩道に掛かるアーケードとして開放性を保ち、99年には白崎時計店が潤いをと、通りに69種の街路樹を植えたという。

  その伏線となったのが架け替えの際、残っていたイチョウの伐採への反対。反対の先頭に立ったのが故人になった同店の前社長だった。映画館通りとの交差点付近で、伐採を免れた1本のイチョウが大通りの変遷を見守り続けている。冬には葉の落ちた枝にハクセキレイがたくさんとまり、夜空に白い体が浮かび上がる光景が見られる。

  早朝、店前を掃除する店員も見かけ、環境整備への努力も認められるが、パーキングエリアや「銀輪公害」が通行機能や景観の課題と指摘する声もある。
(井上忠晴記者)

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