5月7日、渋民で第22回啄木祭短歌大会が開催される。今年の大会の選者を仰せつかった。全国からたくさんの歌が寄せられ、今ねじり鉢巻きで選歌に当たっている。よい歌は一首たりとも見逃さぬ思いで向かっている。
病のごと/思郷のこころ湧く日なり/目にあをぞらの煙かなしも
かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川
石をもて追はるるごとく/ふるさとを出でしかなかみ/消ゆる時なし
やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに
歌集「一握の砂」の望郷の歌である。26歳の若さで不遇の生涯を終えた啄木だが、生誕120年、その歌は今もなお多くの若い人々に愛唱されている。ぼくはこれらの望郷やみがたい歌に啄木の切々のこえを聞く。まさに「ふるさとは遠くにありて思うもの」か。皮肉とはいえ皮肉、それが人生、優れた作品の宿命というものだろうか。老いた今も若き日の啄木のこころ追慕の思いひとしおである。
啄木祭に寄せられた短歌は、啄木の青春の甘美性に共鳴するものもあるが、多くは今の日本の諸問題につながる日常生活の哀歓(労働、病気、老い、介護、誕生、戦争の傷など)を啄木のかなしみに重ね、ひたすら生きる人々の声が満ち満ちている。
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わが庭にも長い冬を越えて一斉に春がやってきた。連翹(れんぎょう)、木蓮(もくれん)、梅、杏(あんず)、桜、桃と続く。美しい花曼陀羅(まんだら)の世界である。
きょうは町内の子供たち、お父さん、お母さん、ぼくが鯉(こい)を持ち寄って公民館広場で鯉のぼりを揚げる3世代交流の日である。ぼくも物置から鯉を取りだして持参する。子供たちと一緒につるした50尾あまりの鯉が5月の風をはらみ太々とひるがえる。子供らが鯉の尾にすがって飛び跳ねる。歓声が青空にこだまする。
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カレンダーには毎月数回「一粒万倍日」というのがある。一粒の種をまくと万倍にも実を結ぶのを願って、種まき、開店、投資は吉とされる日という。しかし、これは虫がよすぎるというものだ。本当の意味は、慈悲を施し善治をなし陰徳を積むことを主旨として設けられた日という。善を積まずしてただ一粒が万倍になるといって商売や契約などに吉日とするのは誤りであろう。昔から「積善の家に余慶あり」の言葉がある。一生懸命努め励め、そうすればいつかは報われるとの昔からの教えなのであろう。
菜の花や先を急がぬ人に蹤き
小原啄葉
草野球始まっている春田かな
草花一泉
梅林を出てちりぢりに別れけり
川守田梅
(歌誌編集者)
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