■あとがき
戦前まで、日本は男性中心の社会であったことは周知の事実である。幕末から明治大正にかけての史実もほとんど男性中心に述べられている。時たま顔を出す女性は特別に傑出した女性である。ゲンはまさにその類の女性の一人であった。
彼女は、カナダ日系移民史の中で、男性に伍して勝るとも劣らぬ足跡を残している。しかし日本では、彼女についての記述は、ほとんど見つからない。従って業績はもちろんのこと、足跡すら十分たどれないのである。カナダに残る記録を中心に、長嶺ゲンの粗描を試みたゆえんである。
彼女の生涯には不明の点が多すぎる。
第一に彼女の生育歴、教育歴である。第二に、ゲンの帰朝年月日と死亡年についての記録の齟齬(そご)である。
このことを明らかにするために、平成15年(2003年)6月、盛岡地方法務局の認容を得て、盛岡市役所に「学術研究を目的とする戸籍又は除籍の謄本の交付請求」を行ったが、廃棄を理由に請求を拒絶された。
次いでゲンの正確な渡航と帰国年月日を特定しようと、のべ6日間に渡って外務省外交資料館の資料を漁ったが、これも徒労に終わった。唯一知り得たことは、岩手県は長嶺ゲンに対して旅券を発給していないこと、従って返却も受けていないという事実である。多分東京市か出発地の神奈川県(もしくは兵庫県)の発給になっていたのかもしれない。いずれにしても客観的に証拠立てる方途を失ってしまった感がある。誠に残念である。
カナダでの聞き取り調査は1991年から96年にかけて、日系一世、二世の方々の協力を得て断続的に行った。皆80歳以上の高齢者で、中には96歳で花札を楽しんでいた方もおられた。その方々のほとんどが他界された。
文献の内、加奈陀同胞発展史等のカナダ側の資料は、大部分ブリティッシュ・コロンビア大学図書館の特殊資料室でコピーした。著作権の関係で数回に分けてコピーしなければならなかった。同じ資料が国立国会図書館にもあったが、痛みが激しくコピーの許可が降りなかった。何度も盛岡から通って筆写した。しかし、ほどなく閲覧禁止になってしまった。
結局、コピーだけのために3年連続カナダに渡ったこともあった。英文での煩瑣(はんさ)な手続きを終えた後、コピー機の周りに列を作る人々の非難の眼差しを気にしながら、黙々と数百ページをコピーしたことが忘れられない。最近は復刻版が日本で出版されて便利になった。つい数年前までの苦労を思うと徒労感だけが残る。
原敬日記には杉村濬についての記述が意外に少ない。「領事杉村濬の晩餐会に赴く。」程度の記載である。ましてや杉村の義姉ゲンについては皆無である。3人とも同郷人である。杉村は原より6歳年長であった。ゲンは原の4歳年下であった。杉村は外務省ではずっと先輩であったが、明治25年、原が入省、外務省通商局長に就任した時をもって、官吏として原に追い越された。その後杉村は死ぬまで原の下風に立った。
原とカナダとのかかわりについて、改めて稿を起こしたいと考えている。
(完)
主要参考文献一覧
[和文]
一、加奈陀同胞発展史第一、大陸日報社(バンクーバー)、明治四十二年
二、加奈陀同胞発展大鑑、中山訊四郎(バンクーバー)、大正十年
三、同 附録、中山訊四郎(バンクーバー)、大正十年
四、カナダ日系人合同教会史、同 歴史編纂委員会(トロント)
五、岩手県史、第七巻、第八巻、岩手県、昭和三十九年
六、旧盛岡藩士桑田5,6,7,8、桑田史談会報
七、一明治宗教家の書簡と履歴書から、本多庸一とその家族、本多繁、明治プロテスタンティズム研究所、平成十三年
八、壬申・甲申・閔妃事件関連の「杉村日記」、研究と資料解説、福島新吾、専修史学(専修大学)、1989
[英文]
1.ISSEI, Stories of Japanese Canadian Pioneers, Gordon
G. Nakayama, NC
press Limited,
Toronto, 1984
2.STORIES OF MY
PEOPLE, Roy Ito,
Japanese Canadian Journal, Ontario,1994
3. WHITE CNADA FOREVER, W. Peter Ward,McGill-Queen’s University Press, 1978
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