一時期、フランスの作曲家エリック・サティ(Eric Satie)のピアノ音楽がはやったことがある。既に10年以上も前の事と思うが。サティ(1866・5・7〜1925・7・4)のピアノ曲はアマチュアでも弾けるやさしい楽譜なので、音楽業界の思いつきの宣伝が「たまたま当たった!という印象」を私は受けた。
ピアノ曲以外の曲はまったく演奏されないし、CDもモーツァルトやベートーベンのように作品集として出ているわけではない現状「曲名にヘンテコリンな題名をつける変わった作曲家」という、私にはそんな印象のサティだった。平成年間に入ってからかどうか、サティが流行した確かな年代も記憶にない。
最近、古い資料をみつけた。「国文学」という学燈社から出た月刊雑誌である。それによるとエリック・サティは1920年(大正9年)、ドビュッシー没2年後に日本に紹介されている。紹介者は太田黒元雄(音楽評論の先駆者的存在)。
サティはラグタイムや俗謡、いろいろな素材を攪拌(かくはん)したバレエ音楽《バラード》を1917年(大正7年)5月7日に発表(パリ、シャトレ座・たぶんロシア・バレー団の委嘱と思う=筆者)。
台本はジャン・コクトー、舞台装置はピカソ、振り付けはマッシーヌ。「太田黒のサティ紹介はこのバレエの情報によっている」と楽燈社の記事は報じている(記述者は関井三男)。
この曲《バラード》はタイプライターの音、自動車のサイレン(消防自動車?)などを音楽の素材としたため、聴衆・観衆の顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、そんな奇抜さから太田黒元雄は、「音楽の新しい騎士」と言いたかったのか?
詩人アポリネールはこの上演に当たって《一種のシュールレアリズムが作りだされた》との賛辞の一文を寄せたらしい…。シュールレアリズムという言葉は、この時のアポリネールが使ったのが最初だという説がある。
この後、サティの新奇性は日本文学界に意外な影響を与えている。坂口安吾、堀辰雄、北園克衛らがサティ論を展開、サティの奇抜さを新芸術と受け取るが、サティは単なる[純粋音楽に対する嫌がらせ]だったのかも…。サティはパリ音楽院出身、しかし冷めた目で音楽界を見ていた反逆児だった。
(岩手大学名誉教授)
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