2006年 5月 3日 (水) 

       

■  用務員の遠山重太郎さんをしのぶ  紫波町赤沢の旧小学校社で地域住民ら

     
  子供たちと一緒にまきを荷車から降ろす在りし日の遠山重太郎さん(右から3人目)  
  子供たちと一緒にまきを荷車から降ろす在りし日の遠山重太郎さん(右から3人目)  
    紫波町赤沢地区の赤沢小学校で用務員として長年勤務し、児童や地域住民に親しまれた遠山重太郎さんのことを振り返る「重太さんを偲(しの)ぶ会」が4月30日、同小旧校舎跡(現赤沢児童館)で開かれた。地域住民や同小の元教諭ら約50人が出席、32年前に77歳で亡くなった遠山さんの生前の思い出を語り合った。

 遠山さんは1897年、同地区紫野地内で代々白山神社別当を務めている遠山家の3男として生まれ、15歳から45年間にわたって赤沢小学校の用務員として勤務した。在職中に石黒英彦知事、国分謙吉知事の2人の知事から表彰を受けた。用務員で知事2人から表彰を受けたのはこの人ぐらいのものと地域の自慢でもある。

  大勢の地域住民から親しまれ、退職した56年3月には功績をたたえる顕彰碑が校庭の一隅に建立された。74年12月24日に77歳で永眠した。

  遠山さんの碑が建って50年目を迎え、小学生時代に遠山さんと接した60〜80歳代の地域住民らで会が企画された。元教諭、親族らも加わり、顕彰碑に花や酒をささげ、記念撮影をし隣接する赤沢公民館で思い出を語り合った。

  「一番記憶に残るのは水運び。学校から離れたところにある井戸から水をくみ上げ、天秤棒に提げて何度も往復していました。1日に60〜70回は往復していたと思います。わたしたち子供は、その水をじゃぶじゃぶと使い、重太郎さんから『あまり使うなでー』と怒られたものです」と水の思い出を話す人も。

  成長してから水運びがどんなにきつい仕事か分かり、頭が下がったという。

  冬場には自前でまきを買い、用務員室を温かくして子供たちが自由に入って温まれるようにしていた。

  遠山さんの後任で用務員となった田村由郎さんは、遠山さん愛用の鉄瓶、囲炉裏に提げた自在鈎(じざいかぎ)、水運びに使った天秤棒などの遺品を説明した。

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