明治維新以来、特にドイツは日本の近代化への影響が少なくない。なぜなら両国の統一、つまり日本での廃藩置県と、ドイツ帝国による統一が同じ明治4年(1871年)の年だった。
なぜドイツに範を求めたか
明治憲法もドイツの憲法を参考にしたといわれる。しかし保守的なプロシア憲法でなく、より進んだバーデン公国とヴィルテンベルク王国憲法を参考にしたのだ。
創業時代の日本の鉄道は、本州ではまずイギリスに、北海道はアメリカに、九州はドイツを参考にした。
日本の鉄道が国有化されると、ドイツの蒸気機関車を統一された日本の標準機関車の参考にした。
日本最初の電気機関車も急勾配(こうばい)の横川−軽井沢で使用されたアブト式機関車、最初のディーゼル機関車いずれもドイツ製。東京を一周する山手線やその中間を通る中央線も、ベルリンを参考にしていた。
東京駅もベルリンの中央駅構想にしたが、お手本となるべきベルリン側は百年近くたってもまだ実現していない。東京最初の地下鉄銀座線はベルリンのUバンの影響が大きかった。
電力方式で日本が二分された理由
日本の東西で最初に輸入された発電機の方式がちがう。東はドイツのジーメンス社の方式。古河グループとの提携で、古河の「フ」とジーメンスの「ジ」を合わせて富士電気鰍ェ発足した。さらにジーメンスの子会社のテレフンケン社との提携で、富士通信機(現富士通)ができた。その後に孫会社でレコードのポリドール社などがつくられた。
西日本は電力のサイクルがちがう。アメリカ方式を採用した。東日本の50サイクルに対して、西では60サイクルのちがいで電気製品が、引っ越しの際不便をきたした。それより新潟や長野の降雪地帯に両方式の境界線がぶつかるため、雪害での復旧に手間取った。
自動車関係でもディーゼル・エンジンや電装品でボッシュの影響が大きく、さらにボッシュは横浜に技術研究所をつくった。
医者もドイツ医学
医学でも長くドイツ医学が日本の主流になっていた。幕末の日本に来日したシーボルトはオランダ人にまぎれてやってきたが、本当はドイツ人だった。オランダ語とドイツ語が似ているので、ドイツ医学が後に受けいれやすかった。
日本では熱があると、脇の下で体温をはかる。これもドイツ医学の影響である。
ベルツは東京帝国大学の医学部の基礎をきずいたし、コッホは日本の公衆衛生に強く影響した。
大学の制度もドイツの制度が日本の旧制の帝国大学制度になった。
日本のエリート教育だった旧制高校の30校ではドイツ語が学べたが、フランス語は8校しかなかった。
戦前ライプジヒの出版社が「レクラム文庫」という文庫版の本を発行していた。これが日本で岩波文庫をはじめ、各文庫版の寸法に影響した。
現在の郵便の民営化も、ドイツでの民営化の影響が大きい。
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