■ 〈胡堂の父からの手紙〉58 八重嶋勲 岩動氏との同宿は幸福である
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■95 巻紙 明治35年9月12日付
宛 東京市本郷区台町十九番地三洲館
内止宿
発 岩手県紫波郡彦部村
前略両度手紙相届開緘スルニ愈々無事到着之由先以テ大慶、次ニ当方無異相凌キ居候ニ付是又御休意ヲ乞フ、
扨テ当地ハ四五日此方気候大ニ服(復)シ華氏八十五度位に昇リ夜間八十度内外ニシテ作物モ大ニ回服(復)シ稲作ノ如キハ平年ニ異ナル事ナカルベシ、米價ハ七計(斗)ニテ当月三四日頃迄ハ拾円以上ノ処此頃ニ至リ九円内外ト云フ相場ニ有之為メニ人気モ穏カニカタムキ田舎ノ神様達ハ賑敷候、
出立一日后中野ノ伯父参リ送別セサルヲ大ニ恨ミ銭別金壱円投惠セラレタリ、端書ヲ以テ答礼可致候、本日猪川浩氏到来セシ要件ハ野村長一ハ一日モ出校セス且ツ其学フ事モ無之本中学ニ在籍スルノ必要ナルベシ、就テハ其父兄ヨリ退学書可為差出ト云フニアリ仍チ一日モ早ク其地ノ正則トヤラニ入学可致、其報ヲ待ッテ退校差出ノ手續可取計候、机ハニ三日中相送可申候、
新聞ハ本月限リデ相断リ候ニ付七日以后ノ分四枚明日相送リ候、
大川氏岩動氏ノ同宿ハ幸福ナリ、大川氏抔ヨリモ経費ハ何分費消セサル様且ツ最モ親シク大々的奮発可致候、在宅中ノ如ク其事ニ決シテ相振サル様一意専心ニ受験的学文ニノミ勉励可致候、筆法ノ如キモ小児ノ時ハ違ヘ余リ拙筆ナルモ見苦シク且ツ虚(嘘)字抔ハ克ク注意可致候、可相成良家ノ手本ヲ購ヘ相学フベク候、
肴町ヨリ上等ノシヤッチ(ツ)ズボン下貰受候、冬物ナルカ故ニ追テ送届クベク候、萬朝報購續候ハゝ三四枚ツゝ束ネ相送ルベシ、所録ハ要セス、右用事迄、余ハ後便ト申残ス、早々
九月十二日 野村長四郎
餞別貰受ノ為メ答礼スヘキ方左ニ
日下末子松、日下善作、高橋春吉、 高金寺三浦柏籌
籌豊吉ヘ面會シタラハ其詳報ヲ要ス
【解説】「前略、両度手紙届き見るに無事到着したとのことまずもって喜ばしい。次に当方変わったことも無くしのいでいるので安心せよ。
さて、当地は4、5日この方気候大いに服し、華氏85度(摂氏29・2度)位に昇り、夜間80度(26・7度)内外で作物も大いに回復し、稲作は平年作と異ならないだろう。米価は7斗で当月3、4日頃までは10円以上だったが、この頃になって9円内外という相場であり、そのため人心も穏やかに傾いて、田舎の神様達はにぎわしいようだ。
出立した1日後に、中野の伯父が来て送別しなかったのを大いに悔やんで餞別金1円を置いて行かれた。はがきでお礼をするように。
本日、猪川浩(箕人)氏が来た。要件は野村長一は、1日も出校せず、かつその学ぶこともなく、本中学校に在籍する必要がない。ついてはその父兄より退学書を差し出すようにということである。すなわち1日も早く他の正規の学校に入学し、その報告を待って退学書差出の手続きをするようにとのことであった。
机は2、3日中に送る。新聞は本月限りで止めるので、7日以後の分4枚明日送る。
大川源兵衛氏、岩動氏との同宿は幸福である。大川氏などよりも経費は何分費消しないようにし、かつ最も親しく大々的奮発をするように。在宅中のように決して振るまわないようにして、一意専心に受験的学問にのみ勉励するように。筆法も小児の時と違い余りの拙筆は見苦しい。かつ嘘字などはよく注意するように。なるべく良い書人の手本を買って学ぶようにせよ。
肴町の「井豊」から上等のシャツ、ズボン下をもらった。冬物であるので追って送り届ける。
萬朝報購読しているのであれば、3、4枚ずつ束ねて送ること。所録は要しない。右用事迄。余は後便と申し残す。早々
(追伸)餞別貰い受けのため答礼すべき方左に
日下末子松、日下善作、高橋春 松、高金寺三浦柏籌
豊吉へ面会したならその詳報を要す」という内容。
さる6月27日付の父長四郎の手紙に、帰郷の際、日詰停車場に下男三太だけを出迎えさせるという一節があった。久々に帰郷し、また上京した様子であるが、いつからいつまで滞在したのか調べようがない。
温度の単位、「華氏」は創始者のドイツの物理学者ファーレンハイトの名に中国で「華倫海」の字を、「摂氏」は創始者セルシウスの名に「摂爾修斯」の字を当てたという。カ氏、セ氏温度の略。ちなみに、「華氏温度」から「摂氏温度」を計算するには、華氏温度から32を引き、これを2で割り、その答の1割増にすると、摂氏の温度を得ることができると友人長沢成喜氏から教えてもらった。華氏温度は終戦直後まで使用していたことを覚えている。
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