2006年 5月8日 (月) 

       

■  須川長之助を語る 岩手大学ミュージアム改装記念講演会で須田名誉教授 

     
  植物採集家・須川長之助と岩手大学との関係について語る同大ミュージアム研究員の須田裕さん  
  植物採集家・須川長之助と岩手大学との関係について語る同大ミュージアム研究員の須田裕さん  
  盛岡市の岩手大学ミュージアムの展示リニューアルを記念した講演会がこのほど、同大農学部農業教育資料館で開かれた。リニューアルで展示が加わった紫波町出身の植物収集家・須川長之助(1842〜1925)について、同ミュージアム研究員で同大名誉教授の須田裕さんが講演した。

  長之助はロシア人の植物学者マキシモビッチ(1827〜1891)の採取助手として全国を巡った。長之助はマキシモビッチが帰国後も、採集標本を送り続け、日本の植物研究に貢献したといわれる。

  同大には長之助がロシアに送らず、手元に残していたとみられる植物標本が680点、現存しており、長之助と同大との関係を解説した。

  須田さんの調査によると、同大に残されている長之助のさく葉標本は、学校創立当時(1903年ごろ)、物品を納入していた木津屋8代目池野藤兵衛氏(1871〜1962)の番頭・木村謹蔵氏が寄贈したもの。マキシモビッチから依頼を受けていた長之助は、標本の作製に高価な紙を使用しており、これが木津屋との縁になったのではないかという。

  さらに、植物学・植物病理学教授として15年間、盛岡高等農林学校に在職した富樫浩吾(1895〜1952)は、1926年、当時の校長鏡保之助の依頼を受け、長之助の遺品を収集。1928年10月に、陸軍特別大演習統監のために昭和天皇が盛岡高等農林学校を視察しており、この時、郷土の植物採集家の業績を説明するための準備だったとみられる。実際に標本や遺品を収めた「須川長之助翁文庫」が視察に合わせて作成され、業績を説明した記録も残っているという。

  須田さんは長之助が残した標本について「採集記録が一部欠落しているところもあり、必ずしも学術的価値が高いとは言い難いが、日本の近代植物学の黎明(れいめい)期の資料として歴史的価値は高く評価されるべき」と説明。「科学の進歩でDNA鑑定など新しい研究の可能性も生まれている。実物が標本として、きちんと残されていくことは、とても大きな意味がある」と標本の大切さについても強調した。

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