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石川啄木の歌碑の除幕式 |
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盛岡市上田3丁目の盛岡一高で7日、石川啄木の歌碑の除幕式が開かれた。歌碑が建立された同校正門脇には、桜が舞い散る中、歌碑を寄贈した同校の白堊(はくあ)同窓会(八角正司会長)の有志や、啄木ファンら約80人が集まった。
除幕は同窓会の八角会長と、同43年次の谷藤文明代表のほか、同校出身の谷藤盛岡市長、同校の鈴木文雄校長、2年生の池崎祥平君と白沢友紀さんの手で行われた。
寄贈者有志を代表して谷藤さんが「啄木生誕120年に当たり、旧玉山村と合併した今年、歌碑建立できたことには、必然性を感じる。母校の天才歌人、啄木の歌碑を万感の思いを込めて建立する」とあいさつ。
鈴木校長は「生徒たちは朝夕にこの歌碑に見入り、この歌を口ずさむものと思うが、啄木の文学に親しむだけでなく、多くの先人の遺業に思いをはせ、長い本校の歴史と伝統を改めて振り返るよすがになるものと信じている。これを機に、生徒がさらに意欲を持って、世界で活躍する人物になることを期待している」と述べた。
同校内にはさまざまな碑が建立されているが、啄木の歌碑は初めて。1968年(昭和43年)に卒業した同窓生有志を中心に、歌碑建立を望む声が高まったことがきっかけ。
選ばれた短歌は「一握の砂」に収録されている「盛岡の中学校の/露臺(バルコン)の/欄干(てすり)に最一度(もいちど)我を倚(よ)らしめ」の1首。文字は初版本の活字を生かし、台座の部分には森一氏の英訳も刻まれている。
岩手町在住の彫刻家片桐宏典さんがデザインを担当。制作は片桐さんと、妻の彫刻家のケイト・トムソンさんが2人で担当した。
台座には玉山区産の白御影石、本体はインド産の赤御影石を使用。レンズを立てたような形の本体は「切れ味があり、独特の世界を持つ啄木の世界を、抽象的に完結した形で表した」と片桐さん。苦労し続けた人生と、若くして亡くなったため、文学的には未完成だったという思いを、レンズの周囲にわざと割れ肌を出すことで表現している。
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