2006年 5月9日 (火) 

       

■  〈美術随想〉橋本哲郎 藤田嗣治展を見る 

 東京国立近代美術館で、藤田嗣治展を拝見いたしました。「この画家ぐらい回顧展が望まれながら展覧会が開かれなかった画家もめずらしい」との宣伝もあり、平日ながら期待に集まった鑑賞者が、開館前から行列をつくる人気にまず驚かされました。

  東京生まれで晩年はフランスに帰化し、エコール・ド・パリ最後の画家と世界的には非常に有名な藤田が、日本ではあまり紹介されずにきたのはなぜだったのでしょうか。戦時中に戦争の絵を描いたことで、日本画壇が藤田一人に戦争責任を押し付けようとしたことや「自分が日本で受けた教育は全く一人の先生の単なる模倣をやっているに過ぎなかった」と藤田自身が語っているように、当時はパリと日本ではあまりにも絵に対する考え方や画家の評価が違っていたことが、日本を捨てるきっかけになったのではないかと思われます。

  乳白色に独自の工夫をされ、筆、墨といった日本画の材料とあわせ、線描による独特なスタイルを完成された、水と油を合わせた工夫は「油の上に水を載せるむずかしさがあった、さらにその上に油をかけてその水をとめることにした」と藤田が日本で行った講演会で語ったようにむずかしいものであっただろうし、日本画と洋画の区別を取りはらい、絵はあくまでも絵で、それ以上でも、それ以下でもない、と言う藤田の自信に対し、これを洋画ではない(墨は洋画の材料ではなく面相筆で描くなど洋画の様式からはずれる)と、決めつける情けない人たちもいたようです。それに反しパリは、東洋のエキゾチシズムともてはやしたのではないでしょうか。

  同じ時代、東北の地で同じように戦争画を描かされていた橋本八百二が「戦争画は絵の具の配給を得るために描かされたんだよ」と笑っておられたのを思い出します。紫波のアトリエを訪ねたとき、いろりで銅鍋に絵の具の溶き油を入れ、クツクツ煮つめておられました。橋本八百二独特のマチエル岩手山の輝きはこのようにして得られるんだと、感激したのを思い出します。藤田もまたパリの地で、乳白色の裸婦を面相筆による墨の線の美しさで表現する工夫を独りでひそかに行っていたと聞き、なにか親しみを感じました。

  今回拝見したのは藤田嗣治の描いた戦争画の、ほんの一部でしかないようですが、藤田嗣治も、橋本八百二も、決して戦争賛歌は描いていなかった。むしろ悲壮感あふれる作品群を見せられ、軍部から強制的に指示され、やむを得ず描かされた戦争画に画家の良心を見たおもいがします。

  十年程前、秋田で藤田の作品が売りに出されたことがありました。乳白色の裸婦の絵だったと記憶しています。残念ながら岩手には残らず、他県に渡ったようです。

  藤田がパリから帰った一時期、秋田のかたの援助を得ており、作品が秋田に多く残ったそうです。秋田市の平野政吉美術館には20メートルを超す大作「秋田の行事」をはじめ「眠れる女」など代表作も何点か残っており、前に私も何度か拝見しました。

  今回は、初期の「キュービズム風静物」や晩年の宗教画「ヨハネの黙示録」などまで、あますところなく見せてくれる貴重な展覧会でした。

  なかでも藤田が日本を去る途中よったアメリカで描いたといわれるパリの日常的なカフェの光景「カフェにて」は彼の生涯にわたるパリへの愛着の表明であると評論されているとおりすばらしいものでしたが、なぜか私は、東洋の神秘の如意輪観音を彷彿(ほうふつ)させるようで、はなれがたい思いをしました。

  藤田嗣治生誕120年記念展を拝見しより一層身近にエコール・ド・パリを感じさせられました。
  東京展 東京国立近代美術館 3月28日〜5月21日
  京都展 京都国立近代美術館 5月30日〜7月23日
  広島展 広島県立美術館 8月3日〜10月9日
 
 

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