■ 〈たきびの詩人巽聖歌〉230 小川達雄 戦争と歌人・下12
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広大な太平洋の島々を拠点とする日本の守備隊が、全滅−いわゆる玉砕−の悲劇に逢ったのは、昭和十八年五月二十九日のアッツ島が最初である。
五月三十日十七時、大本営は次のように発表した。
「アッツ島守備部隊は五月十二日以来、極めて困難なる状況下に寡兵よく優勢なる敵に対して血戦継続中の処、五月二十九日夜、敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し、皇軍の神髄を発揮せんと決意し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり。爾後通信全く途絶、全員玉砕せるものと認む。傷病者にして攻撃に参加し得ざるものはこれに先だちことごとく自決せり。我が守備隊は二千数百名にして、部隊長は陸軍大佐山崎保代なり。敵は特種、優秀装備の約二万にして、五月二十八日までに与へたる損害六千を下らず。」
これは全員の戦死をつたえる、初めての重大な報道である。そこで翌日、谷萩陸軍報道部長は「世界無比の皇軍魂」と題して、次のように放送した。
「アッツ島守備の我が部隊は敵と血戦二旬、ついにことごとく玉砕しました。その壮烈なる最後は恂(マコト)に鬼神をも哭かしむるものがあり、皇軍の神髄を発揮して余すところがないのであります。〜守備隊将兵はその最後の攻撃決行前において、遙かに皇居を拝して大元帥陛下の万歳を奉唱し、神国日本の天壌無窮と大東亜戦争の必勝と、そして後に続く者を信じて、心のこりなく笑って大義についたのであります。わたしは謹みて合掌し、仇敵撃ちてし止まんの誓いを新たにするものであります。」
この時、めずらしく巽先生は、こううたっていた。
あつっ島口つく語韻かなしみて木深くな
りし部屋にまたいふ 『多磨』189
茫洋と霧かかぐろき日々(アケクレ)を
上陸の日のごとしといふか 同
いかにも童謡作詩家らしく、その語韻と霧の中の情景をうたう。しかし、ふつうには、陸軍報道部長がいったように、勇ましく、もどかしい思いをつよく表現していた。
アッツ島に玉砕したる将兵を無念とぞ思
ふ撃ちてし止まむ
『潮音』187 奈良井新也
アッツ島に命死ぬべき血戦の雄たけび今
も濤(ナミ)に聞ゆる 同 目黒草水
アッツ島の勇士思へばいねがたき暁炎に
時鳥鳴く 『心の花』187 萩倉ちさゑ
五月二十九日の暁の突撃の雄叫び聞ゆ寝
ても覚めても 同 吉川常治
ことごとく戦ふいのちささげたるアッツ
島戦を思へば泣かゆ
『アララギ』187 斎藤茂吉
嗚呼五月二十九日の夜に入りてアッツ島
を呼べど遂にこたへず 同 山口茂吉
国じゅう全部、この時はこうした無念の思いで、歯を食いしばっていたのであろう。しかしいま見ると、惜しいかな決まった型でうたっていたな、とつくづく思う。
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