2006年 6月1日 (木) 

       

■  〈In Region〉明治の絹織物の再現に挑戦 小野タキさん(74)

     
  父の使っていた機織り機で絹織物の再現に取り組んでいる小野タキさん(後方左は故・多門亮祐さんの作品)  
 
父の使っていた機織り機で絹織物の再現に取り組んでいる小野タキさん(後方左は故・多門亮祐さんの作品)
 

 父から受け継いだ機織りを伝えようと、盛岡市高松2丁目の小野タキさん(74)が、姉の多門スミさん(80)=一関市=とともに明治期の絹織物の再現に取り組んでいる。亡父が100年以上前に書いたテキスト「織物研究書」を基に、波や市松などの複雑な織模様に挑戦。これまでに手がけた作品を紹介する「絹織物姉妹二人展−織模様(柄)に挑む」は6月2日から4日まで、盛岡市上田4丁目の上田公民館創作展示室で開かれる。
 
 「父と同じように機織り機に向かっていると、織りに夢中になっていた父の気持ちが分かる気がする」と小野さん。「当時の父の姿や機場で遊んで『杼(ひ)が飛んでくるぞ』としかられた自分たちのことも思い出される」と懐かしむ。

  「杼」は、横糸を巻いた管を入れる舟形の箱。縦糸を張ったところに勢いよく通すため、顔に当たったら危ないという親心だったのではという。

  小野さんは、定年退職を前にした15年ほど前から姉のスミさんの指導などを受けて織物を始めた。使っているのは、寺の住職だった父の故・多門亮祐さんが使っていた機織り機。「安定感があって一番使いやすいんですよ」と、100年を経てもまたまだ現役だ。

  故・亮祐さんは、先代の後を継いで一関市内の寺院の住職を務めた。若い時期に織物を研究したというが、何のためにどこで技術を学んだのか詳しくは分からないという。1955年に72歳で亡くなった後、7冊の自筆の織物研究書が見つかった。うち1冊は表紙に明治35年とあり、ほかの書も同時期に書かれたと思われるという。

  小野さんらが取り組んでいるのは、研究書の中にある「東京セル地織」「立波織」「隔子(かくし)市松織」などの織模様。中でも「隔子市松織」は、互い違いに並べた四角形の一つ一つに1本線が入ったもので、技術と時間を要した。

  制作の頼りは、綜絖(そうこう=縦糸を通す針金状のもの)の通し方や4本ある踏み木の踏み方(踏む順番)などを書いた設計図のようなもの。数字と記号で記され、現物はほとんど残っていない。手順を検討し、織り進めてから「こういう模様だったんだ」と分かることもしばしばだったという。

  繊細な絹糸の扱いにも苦労したが、心に描いていた模様が少しずつ形になっていくことは大きな喜びだった。

  小野さんは「織りには、そのときの心の動きが表れる。平織りであっても糸の張り方などが違ってくる。日々の暮らしでいつも平常心でいるのは難しいが、機織りに向かうときは無心でいたい」と話していた。

  二人展には、スミさん、タキさん姉妹の絹織物の反物、着物、コートなどのほか、故・亮祐さんが残した織物の着物も出展される。








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