■ 〈胡堂の父からの手紙〉62 八重嶋勲 宿所、変わったのではないか
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■100はがき 明治35年10月31日付
宛 東京市本郷区本郷六丁目二十八番
地月村方
発 陸中紫波彦部
前畧過日差出タル荷物ハ十月廿四日例之手続ヲ以テ送付候筈、品物ハ(布団、シャツ、袴下、綿入、栗、林檎)果シテ届カサルトキハ高橋要三ニ方リ吟味致候ニ付打返し回報スベシ、本日拾円郵便為替ニテ送付セリ右用事迄、早々 宿所月村ナルカ□□ナルカ月村ナルカ不明□□
十月丗一日 陸中紫波
彦部 野村長四郎
【解説】「前略、過日差し出した荷物は10月24日、例の手続きで送ったはず。品物は布団、シャツ、ズボン下、綿入れ、栗、リンゴである。もし届いていない場合は、高橋要三の方に問い合わせてみるので折り返し知らせよ。本日10円を郵便為替で送付した。右用事まで、早々 宿所月村方か、変わったのではないか」という内容。
明治35年6月7日付け巻紙に「(単衣ヲ)日詰停車場高橋要造ト云フ人ニ依頼セシ無賃送付取リ運ビ中」とあり、その便法で10月24日にいろいろなものを送ったものであろう。
荷物が着いたのか長一から返事がなく、送付の方法が便法なだけに父は焦って問い合わせているのである。110年以上も前から野村家では、既にリンゴを栽培していたことが分かる。このはがきの様子では、宿所も変わったのかどうかも不明のようである。
ところで、石川啄木が盛岡中学4学年の学期末試験に不正行為があり、謹慎処分を受け、さらに5学年の1学期末試験でも不正行為があって2度目の謹慎処分。「家事上の都合」を理由に退学願を提出。10月27日退学承認。文学をもって身を立てるべく10月31日上京。啄木17歳。新詩社の与謝野鉄幹・晶子を訪問した。長一(21歳)は、啄木を案じて中学校だけでも卒業しておくべきと東京の中学5年に編入を勧め、11月4日、神田付近の学校を尋ねたがいずれも欠員がなく徒労に終わった。
■101はがき 明治35年11月11日付
宛 東京市本郷区本郷六丁目二十八番
地月村方
発 岩手県紫波郡彦部
昨十日綿入及帽差立候筈小使ヲ以テ停車場ヘ鉄道小荷物之コトヲ托シタルニ関清ニ引受差立呉ルゝ等ノ事故同人ヘ預ケ耒リトノ事ニ候、就テハ或ハ例之手讀ナルヤモ難斗二三日ニシテ不屈トキハ取合セ受取候様可致、受取タルヤ否ヤ直返可致候
【解説】「昨10日、綿入れ及び帽子を差し立てた。小使に日詰停車場へ鉄道小荷物のことを託したが、関清が引き受け差し立ててくれるというので同人へ預けてきたということである。ついては、あるいは例の手続きであるかも知れないので、2、3日して届かない時は、問い合わせて受け取るようにせよ。受け取ったか、どうか直ぐ返事すること」という内容。
例の手続きとは、前に便宜を図ってもらい無賃で送ったことがあり、今回もその方法で送ったことになったのか、父長四郎はいささか不安なのであろう。
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