2006年 6月5日 (月) 

       

■  〈五線譜の向こうに〉80 林芳輝 肖像写真家ナダール

 「衣替えの日、岩手はまだ涼しい」と関東に便りを出す文面を思案中、ラジオから「6月1日は写真の日」だというアナンサーの声。そういうわけで「写真の日」を知った。

  1839年8月19日にパリの科学アカデミーが銀板写真術を発表。4日後にイギリスの新聞が詳細な報道を掲載、その報道は船便で9月20日にアメリカに運ばれ、たちまちアメリカ全土に広がった。

  初期の銀板写真は幾多の改良が加えられ、商業的に成り立つ技術ができあがった。

  写真(機)は肖像画家という職業を廃業に追い込んだが、一般庶民にとっては手軽に肖像を手にすることができる時代が到来したわけである。1841年には肖像写真を営業する写真館がパリに出現。写真館には政治家・経済人などが自分のイメージアップのために有名写真館に集まった。

  1860年代には名刺版写真がキャビネ版に、そしてはがき大になり、大量生産されるようになったが、しかしプリントできる時間と紙の問題があり顧客を満足させるにはまだ十分とはいえる時代ではなかった。

  スタジオを訪れる顧客以外に、有名作家・俳優・歌手・作曲家たちの写真を集めることが当時流行し、とりわけ作曲家のブロマイドに人気が集中。王侯貴族の写真よりも大切に保存されてきた。今日、音楽家たちの肖像がたくさん残っているのは、こうした事情のおかげである。

  写真技術の発表から155年経過した現在、カメラ機器開発は極地に達した観があり人間の内面をも活写するまでになった。

  1840年代後半には肖像写真家とういう職業が出現。そのさきがけとなった人物がナダール(1820〜1910)という挿絵画家。

  ナダールは、音楽史上作曲家ショパンの恋人とうわさのあった小説家ジョルジュ・サンドと親しく、当時サンドは「ナダールは人間の内面を写す」と評価している。

  そんなわけでナダールは音楽家の肖像をたくさん残している。写真左上はパブロ・デ・サラサーテの10代の肖像。右下は頭髪がある珍しいパブロ・カザルス(左)と伴奏者ハロルド・バウアー。 (岩手大学名誉教授)




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