二〇八、脱線余話−昔の(昭和三十五年ころまでの)稲作〈上〉
沖縄に育ちし籾を種として岩手わが村の田植え始まる
もう十年以上も前になるでしょうか、凶作で種籾(もみ)さえ取れない年があり、岩手では沖縄から種籾を送られて−確かその名も「かけはし」とつけられました−苗を育てました。そのころに作った歌です。
きょうは五月二十八日、わたしの住む滝沢村の田んぼはほとんど田植えも終了し、水に溺(おぼ)れそうな早苗が懸命に根を張ろうとがんばっています。
昔は田植えの時期が今より約一カ月遅く、田植えが終わると「さなぶり」という祝いをしました。その祝いがチャグチャグ馬コのお祭りです。
その日、朝暗いうちから、裸馬に二、三枚の帯をかけ、鈴と鳴輪(なるわ)をつけて出かけます。鳴輪はドーナツ型の真鍮(しんちゅう)の金属で、中に鉄の玉が入っていて、これが転がるとよく遠くまで響きます。
人を乗せた馬たちは、それぞれの農家から三々五々、滝沢村の蒼前神社目指して参拝に出かけました。神社には「やでっこ(屋台)」や「やでみせ(屋台店)」が出て、そこで「わだあめ(綿飴)」や「たぐりあめ」「のしするめ」「どんこめ(米を熱で撥(は)ねた食べ物)のおこし」などが売られていました。
馬を伴って神前に立ち手を合わせます。馬も神様の前で素直に首を垂れているようです。境内には絵馬も売られています。それを毎年買って腰につるして持ち帰り、わが家の馬屋の柱に掛けます。古い絵馬はもうすっかりすすけて黒くなり、何を描いたものやら、よくわからなくなっています。
サラリーマンのような土・日の休日のない農家にとって、節句のお祭りが「やすみび」でした。嫁は大きな顔をして実家に帰って休むこともできます。洗濯などは「よま(夜)」の仕事でしたが、この日ばかりは日中にすることができました。
家の中にいると「へっこぎよめ(怠け嫁)」と言われ、いつも田や畑に出て仕事をしなければならなかった嫁も、町に買物に出かけることもできました。
この日にはもちをついて、田植えを手伝ってくれた人や親せきなどに配って歩きました。端午の節句と重なってもいたようで、ショウブ湯に入ったり、ショウブ酒を飲んだりしました。ショウブには邪気を払う力があると信じられていました。
田植え機の六本の指すばしこく とつたない一句に詠んだこともありましたが、今や田植えまで機械化の時代です。苗を一株ずつ泥土の中に植えるなどというのは、きわめて複雑な仕事ですが、田植え機はそれを見事にやっています。
チャグチャグ馬コの祭りは、農家が馬を飼い、きつく、つらい農作業をしていたころの、大きな楽しみでした。農作業の苦労を思わずして、馬のパレードを見て「みちのくの風物詩」だ、などと呑気(のんき)なことをいうのは、片手落ちというものでしょう。
とはいうものの、かくいうわたしとてその呑気な人間の一人ですが、盛岡弁を調べ、農家の話を聞いているうちにその本当の意味が少しわかりかけてきました。
(岩手医大教養部教授)
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