2006年 6月7日 (水) 

       

■  〈たきびの詩人巽聖歌〉238 小川達雄 「新樹」の頃5

 地元紙に短歌と詩の雑誌『新樹』の広告が載ったのは、昭和二十年十一月二十八日のことである。
  終戦後いち早く、というのでは、すでにその九月三十日、短歌雑誌『ぬはり』が、岩手県大更村菊池知勇の名で社友募集をしていた。続いて十一月十五日、「新しき意欲はここに」というキャッチフレーズで、花巻の蒼明社、関登久也主宰『歌と随筆』が広告を載せた。

  県内三誌のうちで、『新樹』はやや遅い出発ではあったけれども、それぞれの参加者は、呼びかけの少々の遅速には関係なく、それぞれの雑誌の特色をよく見て選んでいたようである。『新樹』は短歌と詩の雑誌と標榜していたように、『新樹』には一つの形式を越えたイメージの広がりがあり、なによりも巽先生のいう、若い感覚がその特徴といえた。

  翌春一月の創刊号では、先生は「新樹開顕」と題して、こう宣言した。
  「新樹は、若葉照りあふ初夏新妝(注、
  妝はショウ、粧と同じ)の樹である。
   萬物燃ゆるがごとき溌剌の候、牡丹咲
  き、躑躅(ツツジ)咲きみだれてかがよ
  ひあふの候、わたくしはさういふ季節を
  好きだ。
   かがやかにして、しかも銀緑の憂鬱が
  感知されるのもその季節である。年齒な
  らば廿歳に滿たざる若者であらうか。さ
  ういふ季節のさういふ樹、新装を凝らし
  たばかりの樹を新樹といふ。」
  これは先頭の文であるが、続いては作家森荘已池氏が書いてくれたという宣言文を紹介していた。
  「〇新樹といふ。いまだ鬱蒼たる樹海を
  なすものではない。〇まさに然り、我等
  は新樹である。地の上に芽を出したのだ。
  ふたばを噴き出したのだ。〇この色の鮮
  やかさは−何にたとへられよう。〇我等
  いまと幼くとも、やがては樹林となり光
  る風のなかに天を指し、緑かがやくばか
  りになるであらう。〜」
  森氏は幼年時代、巽少年とはその家の前の川で、いっしょに水遊びをした仲間である。巽先生の一文と同じく、それは格別な主義主張を述べたものではないが、それだけに、敗戦直後の昭和二十年という、戦時中の束縛からは放たれた、若々しい息吹がほとばしっていたと思う。

  この創刊号には、短歌では『多磨』同人から編集人の中村正爾、鈴木幸輔、おとうと弟子の宮柊二、それから郷土の先輩・小田島孤舟各氏、詩では江間章子、及川均、玉城徹、高橋九一各氏が作品を出していた。





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