■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉2 北島貞紀 Aのブルース
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■1973年
春、僕は療養を終えて、大阪の大学に戻った。マンドウ(漫画同好会)で知り合ったハルの誘いでロックバンドを結成。ベースを担当することになった。
◇ ◇
そのころ、ギターは僕らの必需品だった。「戦争を知らない子供たち」「結婚しようよ」「ある日突然」…僕たちは一様に長い髪とジーンズをはき、覚えたてのアルペジオでフォークソングを歌った。単純なメロディー、等身大でストレートな歌詞、フォークは僕たちの音楽だった。
一方、高校のとき盛岡の中劇で観(み)た「イージーライダー」「ウッドストック」の音楽と映像は衝撃的だった。すでにこの世にいないジミーヘンドリックス、ジャニスジョップリンは時を経ず伝説の人になった。ピース、サイケデリックアート、ドラッグ…これらの言葉とともにロックアーティストは、僕にとってガラスを通して覗(のぞ)き見る憧(あこが)れの世界だった。
大学の正門の前で、すっかり下火になった学生運動の残党がメットをかぶり、ハンドマイクで何かをアジっている。僕は、その横をまるで彼らが存在しないかのように通り過ぎる。夏季休暇を目前にした6月末、大阪はもう暑い。法・文校舎の坂を登りきると汗が吹き出る。その先に「誠志館」と呼ばれる3階
建ての別館があった。
誠志館は、当初の使用目的は不明だが、学生運動のさなかに学生によって占領され、いつの間にか自由解放区になっていた。いくつもの部屋があって早い者勝ちに占拠したものに占有権があった。僕たちはそこにアンプやドラムを持ち込み専属スタジオができあがった。
「それじゃ始めようか。Aのブルースね」マー坊が、きっかけのフレーズを弾きだす。
僕らのバンドは、何のポリシーも音楽的志向もなくただやることだけに意義があった。できることは、ブルースコードの進行で速いか遅いかミデアム、あるいは、イッパツ(ワンコード)でテンポが変わるだけというお粗末なものだ。ボーカルは、勝手に歌詞をつけてわめき、それでもたまに一体感があったりする。
バンドを結成して1カ月半たって、すでにメンバーが3、4人代わっていた。僕らのメチャメチャさにあきれて帰るか、僕らがあきれて帰ってもらうかのいずれかだった。
ハルとマー坊は高校のクラスメートで、どちらかが新しいメンバーを引っ張ってくる。
音楽的には、マー坊が抜きんでていて、ビートルズをはじめとしてポップス全般をよく知っているし、ギターそのものが上手(うま)い。彼は、建設会社のボンボンで、性格がおっとりしていて自分を主張することがない。誰とでも上手くやっていける。
対照的に、ハルは他と共有できない感性を持ち、興味のないことには全く無関心で、日常の常識や社交性が欠落し、そしてとてもシャイだ。
ハルのギターは、完全に自己流で、すべて耳で聴いた音を自分流に置き換えて出す。エリック・クラプトンに心酔していて「スローハンド・ハル」と名乗っていた。
僕のベースはマー坊からの借り物だ。ベースの弦はギターの倍以上の太さがある。それを押さえるのに結構指の力が要る。よく使う指にマメができ、水ぶくれになってつぶれるということを繰り返しながら、ようやく楽器に慣れてきた。ブルースのコード進行もいくつかできるようになった。
Aのブルースは、ボーカルがわめくのをやめると、マー坊が弾きだし、その後にハルがソロをとる、そして再びボーカルがわめくを繰り返し、いつ果てるともなく続いてゆくのだった。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス代表)
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