2006年 6月10日 (土) 

       

■  〈阿部陽子の里山スケッチ〉35 遠別岳(とおべつだけ、1235メートル)

     
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  「風がいい」「水がいい」と思う。黄ミドリ色の艶(つや)やかな空気、じんわりしみ出す透明な水だ。酪農とワイン・蕎麦(そば)でおなじみ、葛巻町の野山がぐっと華やぐ6月。遠別岳に、湿り気を含む生暖かい風がゴォーゴォー吹きつける。

  国道281号を盛岡から65キロ北上し、袖山高原をめざす。葛巻町の高家領から大規模林道・八戸川内線を8キロばかり進むと風車が3基あらわれ、まもなくトイレのある駐車場に着く。ここが遠別岳の出発地点になる。

  案内標柱どおり北へ10分歩く。広大な牧草地が目の前にひらけ、安家森と赤茶けた岩肌の安家平がドド〜ンと出現。お天気が良ければこのピークを二つ、風の気分でふわふわ渡り歩くと心地いい。

  一等三角点を設置する安家森の眺めは最高だ。切れこんだ谷を挟み北東1キロに、ゾウアザラシのような遠別岳が寝そべっていた。もとの草地の少し先、ダケカンバの大木に付けられた「遠別岳登山入口」へもどるように一周する。およそ40分のハイキングになるだろう。

  遠別岳へはさらに北西の樹林帯に入り、ブナやダケカンバのジャングルを30分ばかり行く。一面にむしかえすコケ、コバイケイソウ、クリンソウの競演がみごとだ。寒冷の厳しさに力尽きた倒木も目につく。それから牧柵沿いに5分。平庭岳への分岐を右折し20分登る。鳥居、祠(ほこら)、鐘がある山頂はもう近い。
 
  もともと袖山は、標高1000メートルを超す雲上の牧野だから、駐車場まで来てしまうと、小さなサラダボールを四つ五つかぶせた丘に見えなくもない。高低差はせいぜい200メートルありやなしや。どちらかというとなだらかな道でつながっている。

  しかし、歩いても立ち止まっても、ほんのわずかだが、どことなく体が踏ん張っている。だからといって、おっトット…と、斜めになるわけでもない。ちょっぴり引っ張られる格好で歩いてしまう。

  雪解け水はどこからともなく集まり、寒冷の大地に清らかな初夏の流れをもたらす。誰もが、ロート状地形の巧みな仕掛けにのせられて傾くのだ。

  遠別岳と平庭岳(1060メートル)の一滴一滴は、遠別川から久慈川になる。安家森(1239メートル)と安家平(1177メートル)が安家川。馬淵川の源流は袖山(1209メートル)や樺森(1208メートル)の斜面から……、やがてすべてが太平洋へ注がれる。

  かつてわたしは、よどんだ霧の日にここを訪れ、「ヘンゼルとグレーテル」のさ迷える森のように、方角を失いかけたことがあった。平坦なルートこそ、実は静かな危険をはらんでいる。木々の魔法にかからぬよう、地図と磁石を使わねば−。

(盛岡市、版画家)

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