2006年 6月10日 (土) 

       

■  〈たきびの詩人巽聖歌〉239 小川達雄 「新樹」の頃6

 創刊号の先頭に、巽先生は三十五首の歌を発表しているが、そのうち、わたしがとくに注意したのは、次の作品である。

  大みこと嘘のごとしも疑へば昨日もけふ
  もたづきを知らず

  「大みこと」というのは、いわゆる終戦の詔勅のことであった。

  「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑
  ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲
  シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」

  これは天皇ご自身によるラジオ放送であったが、八月十六日朝日は、こう記した。

   玉音を拝して感泣嗚咽
     一億の道御昭示

    畏し御躬ら詔書御放送(見出し)

  八月十七日同紙、高村光太郎の詩には、

   綸言一たび出でて一億号泣す
   昭和二十年八月十五日正午
   われ岩手花巻町の鎮守
   鳥谷崎神社社務所の畳に両手をつきて
   天上はるかに流れ来る
   玉音の低きとゞろきに五体をうたる〜

  八月十七日同紙に、斎藤茂吉は、

   聖断はくだりたまひてかしこくも畏く
   もあるか涙しながる

   大君のみこゑの前に臣(オミ)の道ひ
   たぶるにして誓ひたてまつる

  光太郎は、天皇のお声に両手をつき、ひたすら全身をうたれていた。また茂吉は、お声に「かしこく」−十六日朝日の見出しのとおりに、恐れ多い、と二度くり返し、涙を流すばかりであった。

  朝日新聞(どの新聞も同じ)と光太郎と茂吉と、その時の放送への態度は全くのワン・パターンであったことが知られるが、しかし、巽先生だけは、それと大きく違っていた。天皇のお言葉を「嘘のごとしも」−嘘のようだ−と言っていた。

  なにしろ、その時先生は、「昨日もけふもたづき(注、生活の手段)を知らず」というように、一日一日を過ごすのが必死だったのである。

  日一度につづめし粥もなくなりておぞま
  しし今朝は冬陽にぞ坐す

  一日にたったいっぺんのお粥さえなくなって、先生は真っ暗な気持ちのまま、冬陽の中に座っていた。そんな時見かけた小さな鰈(カレイ)。

  冬気色いよいよふかし笹かれひ腹の白き
  を厨(クリヤ)にひろぐ

  食べるもののない台所に置かれた、小さな、平たい魚。真冬のつめたい空気。

  じつはこうした作品群を、わたしはその翌年にはちゃんと読んでいた。しかし、いま六十年が過ぎて、終戦の詔勅を「嘘のごとしも」と、おそらくはぼそぼそとつぶやいたのであろうが、その時のありのままの先生の食生活と、並べて考えてみると、これがその時の、ほんとうの見たもの、ほんとうの声、と思われてくる。

  先生は「感覚をだいじに」とよく話されたが、それは出来上がった時流に流されるのではなく、自分のうそいつわりのない感覚に忠実に、ということであったのだ。

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